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ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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ジャコメッティ展に行ってきました

 以前このブログでジャコメッティーの作品について書きました(関東の冬)。そのジャコメッティーの展覧会が開かれています。昨日行ってきました。世間ではまだ大方お盆休み継続中と思われますが、そのせいかどうか国立新美術館もいつもより閑散とした感じでした。しかし展覧会場はお客さんが少ない訳でも無く、丁度いい混み具合でした。夏休み中ということもあって親子連れのお客さんが多く、普段こういう展覧会では見る事の無い小学生が結構いました。パンフレットを見ながら何やらテェックしている様子。おそらく夏休みの宿題の何かにするのでしょう。

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              カタログを買ってきました

 そんな何とも微笑ましい雰囲気の中、じっくりと見てきました。最初は若い頃(20歳前後)の油絵と彫刻、そしてデッサンが並んでいました。デッサンはやはり、しっかりと形態を捉える為の線が引かれていて “彫刻家のもの(※)” だと改めて思いました。彼は最初から彫刻家でした。そして次に見たのはキュービズム的な作品やシュールレアリズムの作品。続いていわゆるジャコメッティの作品、誰もが思い浮かべる肖像作品と直立している人や歩いている男の像を見ました。ここで面白かったのはミニチュア作品です。10cmも無いくらいの大きさの、それこそハリガネで出来ているような作品です。 それらを一通り見た後で、迷路のような順路を辿って、部屋の奥に現れたのは中くらいの高さの台の上に展示された猫と床の台に置かれた犬です。

ジャコメッティ展に行ってきました_b0143231_18295030.jpg
          猫と犬の絵はがきも買ってきました

 今回の展覧会は絶対に行きたいと思っていました。その理由はこの2体の彫刻を観たかったからです。
20歳頃に(確か池袋の西武デパートで)ジャコメッティ展を観て感動して以来何十年ぶりに観ます。前回印象に残ったのは猫の像、床に展示してあったのを見下ろして不思議な感覚を覚えました。こちらに向かって歩いて来る様に見えるのだけれど、それは勿論静止したままです。どんどん近付いて来てるのに、いっこうに足元に到着しない。ジャコメッティの彫刻はだいたいどれでも距離感が変なのです。例えば小ちゃい頭部だけの彫刻を正面からじっと見ているとその頭が目の錯覚なのか、だんだん大きく見えて来て実物大の頭になったり、またそうかと思うとどんどんどんどん遠ざかり豆粒みたいに小さくなったり。歩く男の像は、膝もあんまり曲げずに前のめりにひたすら歩いているのに、粘着剤で足を地面に固定された事に気が付いて、歩きかけで足を止めたようにも見える。動いているのか止まっているのかさえも分からない(勿論彫刻だから動かないのですが)。ジャコメッティの彫刻は、じっと(のめり込んで)観ていると不思議な感覚に襲われます。

ジャコメッティ展に行ってきました_b0143231_18304694.jpg

 今回、猫は見下ろすことは出来ませんでしたが、同じ目線の高さから見る事ができました。真横から、斜めから、正面から、正面少し横にずれたところから・・・近くから、そして少し離れたところから(人が前に割り込んで来るので見ずらかったですが)。様々な距離、角度から見ました。やはりこの彫刻のリアリティは猫の動きを正確に捉える事からくる重量感なのだと思いました。否、言い間違えました、軽量感ですね。実際の猫よりは寸法がかなり大きいのですが、いかにも猫のふんわりとした軽さが感じられて、何とも言えない可愛いさが出ていました。特に正面から右に少しずれたところから見た、狭い肩幅と前足の運びが可憐(といえるかどうか分からないが)で愛しく思えました。この軽妙な動きの元は、ジャン・ジュネが書いている様にこの彫刻の水平生にあります。上下動の殆ど無い猫の動き、頭からしっぽまでほぼ一直線の脊椎の水平生に起因しています。

 一方で地面の匂いを嗅ぎながら歩き回る犬の像は初めてじっくり見ました。前肢と後肢を柱にして重力に逆らって上に突き出している肩と腰の骨、そして胴体と首としっぽは地面に向かって垂れ下がり、全体のその姿からは何か逼迫したものを感じます。猫はまるで空気ボールがゆっくりころがる様に音も立てずにそっと歩き、犬はリズムを取って上下に体を動かしながら歩く。その対比は見事です。展示の仕方も良いと思いました。犬の後ろ側から2匹を見ると、犬が路上を歩き、猫がその向こうに建っている塀の上を歩いているようなポジショニングです。この頭蓋骨の小さい大型犬(と思われる)は細い体にも拘らず骨以外の肉や皮は垂れ下がり、重力の存在を充分に感じさせます。右斜め後ろから見た時に、下げた頭の脇に垂れている右耳がとてもリアルに感じました。肩と腰骨を支柱に緩やかに下方に湾曲した吊り橋のような脊椎の曲線を受けて延長線上に延びるS字曲線状のしっぽの形がとても美しいと思いました。その形は単に線として美しいのではなく、犬を飼うという経験を経て初めて感じられたであろうリアリティーがあります。お尻から延びたしっぽは先ず後ろ上方に膨らむ曲線が描かれ、その先は反転して下側に膨らんで曲がり(S字状)、最終的にしっぽの先が上を向いています。後ろ足の曲線としっぽの曲線で形づけられる楕円形に空いた空間に、少し言うのを憚られますが、犬のお尻の穴の存在を感じました。犬の散歩をしていると、犬の肛門を見る事になります。毎日見ているのです。しっぽを上げて(日本犬の場合、丸めて)いつも剥き出しです。排泄をする時は周りを汚さない様にしなければならないので勿論ですが、余程怯えている時以外はしっぽは上がったままなのです。それは衛生上必要な事でも(空気にさらして乾燥させる)あるし、体の動きのバランス上求められる事でもあります。この犬はご機嫌な状態では無いので、しっぽは半ば垂れていますが、肛門にくっ付かない様に空間を空けています。そこにはお尻の穴の存在が表現されているように感じました。犬の全身の形の美しさに寄与しているのと同時に、犬の生体としてのリアリティーも感じました。

 結局この2点の前には(後ろに回ったりもしましたが)一時間近くいました。その間に監視員の方も何度か交代した様子でした。あんまりしつこく見ていたので、作品に危害を加える危ない人と思われなかったかちょっと心配です。


※ 画家のデッサンはあくまで四角い画面の中に形を構成します。物を描いてもそれだけでなくその周りの形(物の輪郭と画面の縁の間に作られる形)も構成要素と考えます。物の立体を捉えると同時に画面全体の構成もするのです(それは近代絵画の考え方で、確立させたのはセザンヌです)。しかし彫刻家はそのあたりの事はあまり重要に考えません。それよりも物の立体的な形態そのものを捉えようとします。にもかかわらず、当たり前ですがデッサンの画面は平面です。そこで写真には写らない線を引きます。目にははっきりと見えない形と形の境目に線を入れます。例えば展示されていたジャコメッティーの裸婦デッサンでは足と胴体の境目に入っている線は体の中にある線で実際には見えないものまで引かれています(キュービズム的とも云える)。その結果描かれた物はまるで透けている立体物のように見えます。しかしいわゆるジャコメッティーの作品が確立した後のデッサンは物の形態を捉えると云うより、物と周りの空間を一緒に表そうとしているような気がします。但しそれは画家の空間の捉え方とは違い、ジャコメッティーの独創的な捉え方です。 彫刻家のデッサンと言えば、ヘンリー・ムーアにもミケランジェロにも同じように画家との違いを感じます。ミケランジェロは画家でもありますが、レオナルドとのデッサンの違いを見れば、彫刻家である事は明白です。 パリの装飾美術学校(アールデコ)にいた時、ある教授(担任ではない教授で、誰だか忘れた)から、「君の絵は画家的というよりは彫刻家的だ」と言われたことがあります。「彫刻的なデッサンをする画家はとても良いのだ。その逆は良く無いけれど」とも言っていました。意味ははっきりとは分かりませんでしたが嬉しかったのを憶えています。その頃から物を立体的に捉えたいと強く思っていましたから。


by mosaiquedodeca | 2017-08-17 19:26