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ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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田植えとモザイクの共通点

 我が家:モザイクハウスが建っている辺りは結構田舎で、周りには小さな杉林と田んぼが沢山あります。

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 九十九里が近いこの辺に引っ越して来て驚いたことがあります。『おらん家の裏の山はよう、××なんでよう、○○が……』なんて会話を聞いていて、頭の中に、?マークがいっぱいになってしまったのです。どこに山があるんだろう?この辺りは真っ平らで、海岸から10キロも内陸に入っても標高が10mだなんて聞いていたり、津波が来たら家も流されるんでないかと心配しているくらいですから………山なんてどこにもありません。遠くに低く見える山までずっとその人の土地だとしたら、どんだけ大地主なんだろう?なんて…(そんな訳ありません)。しばらくして事情が分かりました。この辺りの人は、林のことを“山”と言うのです。びっくりしました。さすがに真っ平らな所に住んでいる人達は違うんだなあ、きっと昔のこの辺の人はまともな山なんて見た事が無いから林を山に見立てたんだろうなあ、と妙に感心しました。

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 こんな具合ですから、この辺の景色と言えば、たいらな田んぼの中にポツポツと小さな林、いえ“山”が散らばっているという感じです。そんなのどかな田園地帯で、一年の内一番美しいのが今の季節です。
田んぼに水が張り、青い空と白い雲を映しています。田植えを終えたばかりの田はうっすらと緑色の網が掛かったようになり、ついこの間まで黒かった“山”の木々は鮮やかな新緑の色に変わっています。私は、苗が伸びて田んぼが緑の絨毯になる前の、この澄んだ景色が好きです。水の中に苗が植わってるなんて、なんと幻想的な光景でしょうか。西洋人が見たらおそらく、“ファンタスティック!”って感嘆することでしょう。水と緑のポエジー。私はこの美しい風景にしみじみと癒されたことがあります。人生がやり直せると励まされました。

 私がこの風景を好きなのは、子供の頃に見ていた風景に似ているからかも知れません。新潟県の農家の次男坊だった私は、毎年こんな景色を見ていたのです。子供の頃はそれが当たり前で何とも思っていませんでしたが、こんな奇麗な景色を見ていたんですね。ただ、そんな美しい日々の思い出だけでなく、腰がやたらに痛かった田植え作業のの辛さも、同時によみがえって来るのですが………。
 今の農家の人は楽でいいですね。腰を屈めなくても機械がどんどん苗を植えてくれます。昔は何人もの人で田んぼの端から斜めに並んで4〜5列づつ受け持って一斉に田植えをしました。腰に下げた籠の中から左手に苗の束を取って右手の指先で一株(植えるのに丁度良い量の苗、数本)づつ分けて、泥の中に差し込みます。そうやって屈んだまま一歩づつ前に進んでいくのです。苗の列の間に裸足の足をつま先から差し込んで……その泥の感触を今でも憶えています。指の又ににゅるにゅると入り込む泥、泥の中に混ざっている小石や草の茎が足の裏に触る感触などはっきりと憶えています。足首に食い付いて血を吸っている蛭を剥がす時の皮膚が引っ張られる感じ、そのあとの痒さなど、今となっては懐かしい思い出です。遊びでならもう一度田植えをやってみたいなんて思わなくもありません。仕事としてならまっぴら御免ですが……だって腰がほんとに辛いんですから。
 田植え作業の時の花形は女性です。田植えの名人はたいてい女の人でした。普段の力仕事は男性の方が勿論うわ手ですが、この時は女性の方が仕事が速いのです。私の母などは私の受け持つ苗の列より、いつも1〜2列多く受け持って、尚かつ私の進み具合を見て、後ろの人に追い抜かれそうだったりすると、自分の列をもう一つ増やして助けてくれたりしました。

 ところで、最近の田んぼを見ていて気が付いたことがあります。田植えをした後の田んぼが私が子供の頃に見ていた田んぼより、なんだか美しく無いのです。どういう事かと云うと、植わっている苗に機械ならではのばらつきが見えるのです。人は苗を分ける時、大体同じくらいの量になるように一回一回測って選り分けます。ですから極端に量の多い株と極端に少ない株はありません。ところが、自動的に苗を分ける機械はその辺のコントロールが利かないのです。機械は作業はしてくれるのですが、人に代わって“仕事”をしてくれる訳ではないのです。手植えの作業の中では、一株苗を植える毎に人の判断が入ります。1枚の田んぼの中に、何千、何万の株があるか知りませんが、それの全てに人の感覚が行き届いているのです。

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 これはモザイクの制作に通ずるところがあると思います。モザイクのピース一個一個に、大きさと色合いと形を、離れてみた時にそれがどういう風に見えるのかを判断して割って並べなければなりません。きっと中世のイタリアのモザイク職人は、田植えの名人のように一瞬に判断してモザイクピースを割っていたのだろうと思います。

 子供の頃、茶碗にこびり付いたご飯粒を残すと怒られたこと。また、干した稲を運び終わった後、道にこぼれ落ちた稲穂をいつまでも拾っていた祖母の姿を思い出します。今はその理由がはっきりと分かります。手を掛けて育てた稲、作ったお米は単にお金を得るためだけのものでは無かった筈です。そこに作る喜びがあったに違いありません。父や母、祖父や祖母が田植えを終えた田んぼを眺めた時、どのような思いで眺めたのだろうか?私が美しいと感ずる景色とはまた違った見え方があったのではないでしょうか。


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by mosaiquedodeca | 2009-04-25 23:37