ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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レジェンド?

 最近気がついたことですが、ユーちゃんはとても家族愛が強い犬です。と言うのは、家内と私とユーちゃんの3人で外出する際に、家族全員の動向を気にする行動を取るからです。散歩の時に家内がリードを引いて、後ろを足の遅い私が歩いていると少しずつ遅れていきます。しばらくすると何メーターか距離が空きます。するとユーちゃんは必ず足を止めて振り返って私が追いつくのを待っています。体は前を向いたまま首を180度まげて、ちょっと心配そうな “困った顔” でじっと私を待っています。それはまるで出来の悪い、愚図でのろまな子の面倒をみている母親のような感じなのです。
 散歩から帰って家に入る時も同じような行動をとります。クーコは私達に遅れまいと慌てて家の中に入ろうとしました。ドアを開けると私達の脚の脇をすり抜けて必ず一番に入りました。それを見ていつも『一等賞!』と声を掛けていました。しかし、ユーちゃんは同じように一番に入りますが、そこからが違います。私達2人が中に入って、鍵を閉めて、靴を脱いで板の間に上がるまで待っています。最後の人が入り切るのを確かめてから居間に入ります。 “1人も欠けてはいけない” と思っているみたいなのです。

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     全員揃ったので定位置へ

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     ホッとしたような満足そうな顔です


 我が家に来るまで預かって下さっていた方(海ママさん)から、おそらくユーちゃんは野良になってから独りで子犬を産んで育てていたこと、ダニにビッチリ食いつかれながらも必死で守っていたことなどを聞いています。預かられてからも、子犬達の面倒をみて、叱るときは叱ってちゃんと躾をしていた立派な母犬だと。
 そんなユーちゃんはなかなか貰い手が現れず、長いこと(七ヶ月間)海ママさんの “預かりブログ” に登場していました。体毛の色と模様のあり方がクーコに似ていたことから私達の目にも留まり、以後毎日ブログを見ていました。次はどんなことが書かれているか、ユーちゃんの様子はどんなかをいつも気にしていました。更新してない日があると、どうしたんだろう?とヤキモキしました。
 それは私達だけでなかったようです。同じように毎日ブログを見ていた人が沢山おられました。つまりユーちゃんのファンがいっぱいいたのです。それが分かったのは私達の家にトライアル(お試しに飼う期間)が決まったという記事に寄せられたコメント数が過去最多だったと伺った時です。沢山の方がユーちゃんの行く末を心配しておられたのです。私達もそのコメントを読みました。沢山の暖かい言葉が寄せられていて、ユーちゃんを幸せにしないとその方達に “叱られてしまう” と緊張してしまいました。海ママさん曰く、ユーちゃんは “伝説の犬” なんだそうです。

 ところがユーちゃんは我が家に来てからは、酷い環境の中で健気に子供達を守っていた立派な母犬だったなんてことはちっとも感じさせませんでした。ヤンチャで甘えん坊の男の子のような犬にしか見えませんでした。保護されてから七ヶ月、他に沢山保護犬(子犬)がいたものの、安心安全なお家の中で可愛がられて生活していたからでしょうか、すっかり家庭犬になって我が家に来たみたいです。

 甘えん坊振りを発揮したのは最初の日の夜からです。ベッドの脇に長座布団を敷いてあげたのにそこには眼もくれず私のベッドに上がって来て、掛け布団の上でピッタリくっついて寝ました。翌日か翌々日には布団の中に潜ってきました。まるで猫みたいです。その時は冬でしたが、夏になったらさすがにベッドには上らずに長座布団あるいは床板の上に寝っ転がるようになりました。夏の盛りが去って少し涼しくなってきたら、途端にまたベッドに上るようになりました。今は私の足元に丸くなって寝ています。蹴っ飛ばさないように気を使います。また寒くなるに連れて足元からだんだん上に上がってくるのでしょう。

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    ソファーを占領

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    ・・・


 家内の使っている居間のソファーはユーちゃんの定位置の1つになりました。常に半分以上占領しています。家内がそこで横になると背もたれと家内の間の狭い隙間に(細長くなって)挟まれています。窮屈だと思いますが目を閉じて幸せそうな顔をしています。しかし油断禁物です。時に四肢を突っ張ってソファーから家内を落とそうとするような動きをします。実際落とされそうになって家内は慌てています。何と言うか・・我が物顔ですね。

 やんちゃな事で言えば、散歩の途中犬を見れば必ず吠えかかるし、犬に限らず猫でも鳥でも飛びかかろうとします。追っ払おうとしているのでしょうか。時には何が気に入らないのか、人にも逆毛を立てています。クーコは時々人に吠えていました。いかにも怪しげな人、例えば登山服みたいな格好をしていた人などに。そしてキャーキャーはしゃいで走り回っている子どもにも吠えていました。子どもの場合は「騒ぐんじゃない!」って叱っているような感じでした。クーコは庭にいるのが好きで日中は外に繋ぐことが多かったですが、朝晩クーコに吠えられている小学生は、私達の姿が見えないと、「ば〜か!」なんて言って通るくらいでした。ユーちゃんは吠えかかったりはしませんが大体誰にでも逆毛を立てます。私達以外は総て敵だとでも思っているのでしょうか?
 私との散歩では、躾けが効いたみたいで、滅多に犬猫に吠えかからなくなりました。しかし家内と一緒の時は相変わらずイケイケのようです。
 ユーちゃんのヤンチャぶりは、例えば(最初からそうでしたが)庭の奥に繋がれている犬に対してわざわざ喧嘩をふっかけるところです。相手が、気がつかないか面倒くさがっているのに挑発するのです。反応するまでそこに留まって吠えます。そしてとうとうその犬が怒り出すと、さっさと逃げます。その犬が大型犬でも関係ないのです。シェパード、秋田犬、大型のミックス犬、何でもござれです。

 私達の目からは母性溢れる立派な母犬、 “レジェンド” にはあんまり見えなかったユーちゃんですが、冒頭に書いたように最近の行動は、子連れだった時のことを彷彿とさせます。3人揃わないといけない、 “1人も欠けてはいけない” と思っているらしいところなど、家族としての意識が強いのかなと思います。
 もしかしたら他の犬猫に突っかかって行くのは家族を守る意識からなのか? そしたら、彼女にとって私達は “子犬” なのでしょうか? まさか子犬とは思っていないでしょうから、外敵から身内を守ろうとする習慣だけが残ってしまったのかも知れません。もともと喧嘩っ早い性格かも知れませんが、過酷な過去の話を聞いているので、そんな風に思わなくもない、今日この頃です。
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by mosaiquedodeca | 2016-09-21 18:29 | 猛描プータと愛犬クーコの話 | Comments(0)

蛍の写真

 ちょっと前の記事で、 シャンプーをサボった時の我が家の犬の匂いが、フランスパンの香ばしい香りから “ソーシソン(サラミソーセージみたいなもの)” の匂いに変るというような事を書きました。記事を書いた事が引き金になって、また無性にソーシソンが食べたくなってしまいました。しかし東京にでも出掛けないと手に入りません。モヤモヤしていたところ、思いが通じたのか、偶然日本に来ていたフランス在住の友人からお土産に頂きました。かつて我が家を訪れた時、クーコ(シャンプー前の)の獣臭を「靴下の匂いだ」と言って笑っていたその友人が日本を旅行中で、私に会いに来てくれたのです。

 今日はその友人、M君(※1)の作品について書きます。
彼はこの夏一ヶ月程日本の地方をあちこち回って蛍の写真を撮っていました。実は昨年の夏も蛍の写真を撮りにきていました。しかし蛍を追っかけて各地を回っていて、スケジュールに一日の余裕も無かったそうで、会えませんでした。今年は一日だけ空けて会いに来てくれました。その日私は「千葉こどもの国」でガラスモザイクの体験教室を開いていました。そこにわざわざフランス人の奥さんと一緒に訪ねてくれたのです。忙しいかも知れないので「あんまり話しは出来ないかもしれないよ」と言いましたが、それでも構わないということでした。子供達の体験指導の合間に話しを聞いたところ、昨年撮影した蛍の写真を作品にしてパリで展覧会を開いたのだそうです。

 その作品を見せてくれました。私の第一印象は “?” でした。プレゼン用に小さく印画されたその写真は白い額縁マット紙に囲まれた真っ黒の画面でした。そして何やら一部に粉がこぼれてしまったような小さな白い点々。言ってみれば、黒い紙に白い埃がついてしまったような感じ。そっと吹き飛ばしてキレイにしなくっちゃ・・・と思わせるくらいの微かな埃。
 蛍の写真というので私は色付きの写真を想像していました。青緑色の奇麗な光が飛び交う幻想的で奇麗な写真を。しかし私が見たのは唯々、真っ黒な紙でした。

 しかし、蛍イコール奇麗な色というのは固定観念なのですね。小さな写真なので分からなかったのですが、じっと見ていると画面の下の部分に、眼に見えるか見えないかくらいの薄い線が交錯しています。それはどうやら手前の草むらのようです。展覧会の時はもっと大きな画面の写真が飾ってあり、その前に立って眺めているとやがて眼が暗闇に慣れて色んなものが見えて来るのだそうです。確かに落ち着いてじっくり見ると何か見えて来そうです。なるほど、彼の表現したいものが分かった気がしました。


 私はガラスモザイクで絵画を描いています。ガラスモザイクは色んな色のガラスピースを並べて作ります。近くで見ると個々のガラス片が宝石のように美しく光り輝いて見えて、その材質感(物質としての存在感)に魅了されます。画面からの距離が遠ざかるに連れて、ガラス片だと思っているものが他の物(描かれている物)の一部に見えて来ます。遠くから眺めるとそれはもう、パンだったり、チーズだったり、薬缶だったり、炎だったり・・・。物質の色や質感が、その配置の妙によって人にイマジネーションを喚起させ、絵画が成立します。
 色ガラスという物質が、視点を遠ざけると物や空間に変る。一方部分に眼をやれば光の反射で輝くガラス片が見える。見る人の意識が “物質” と “空間” の間を行ったり来たりします。その “ゆらぎ(※2)” を引き起したくて、絵の具では無く、色を配合する事が出来ない又細かくも作れない、色ガラス片を使って絵を描いています。学生時代にガラスモザイクに初めて出会った時から、その “ゆらぎ” を感じ、以来それは私の心を捉えて離しません。

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 M君が蛍の写真で、見る人に味わってもらいたいのは、目の前の真っ黒な壁(展覧会では大きめの画面に印画して飾っている)が奥行きのある夜の風景に変る、その瞬間の驚きなのでは無いだろうか? 真っ黒い紙の向こうに、突然空間が開けて闇の景色が現れてくる、そのヴィジョンが見えた時の喜びなのでは無いだろうか? と私は思いました。
 彼と会った時間はそんなに長くなく、しかもこちらは仕事中だったのでその辺のところまでは話しは出来ませんでした。本人に訊いた訳ではありません。従ってこれはあくまで私の勝手な憶測です。

 蛍の写真はカメラのファインダーを一晩中空けっぱなしにして撮影するような長時間の作業だそうです。蛍が飛ぶと点は線になり、点滅すると点線に。ゲンジボタルやヘイケボタルなど種類によって、また同じ名前の蛍でも地域によって光り方(点滅周期など)が違うのだそうです。従って黒い画面の白い埃の形も様々でした。
 今回もパリに帰ったら展覧会を開くと言っていました。




※1 M君は日本の美術学校の時からの友人でフランスに留学してからも同じ学校に通っていました。1年か2年後輩でしたが、気が合ったというか、話しを始めると止まらなくなって、気がつけば大通りに面したキャフェテラスで何時間も話し込んでいたなんてことが、幾度もありました。彼は私の知らない事を沢山知っていて、話が面白いのです。会話をすることでお互いの考えが深まるとてもいい関係です。 私が帰国してからも、彼が日本で仕事をする機会が何度かあって、そう云うときは必ずと言っていい程会って話しをしました。夜に会って、話し始めたらいつの間にか朝になったなんてこともありました(その頃は若くて体力がありました)。今は何年かに一回しか会えませんが、時間にゆとりがあれば何時間か話し込んでしまうでしょう。それは美術に限らず多岐の分野に渡ってのものになる筈です。原発やISISなどに関して話もしたいと思っています。今回は「嫌な世の中になって来たね」と言い合っただけで、それ以上の話はできませんでした。彼のフランス人の奥さんは「日本に来る前、地震が怖くて躊躇した」と言っていました。それに対して、彼と私は全く同じ言葉を返しました。「地震の方がましか、テロの方がましか、どっちかだね」って。嫌な世の中ですね。


※2 昔、印刷屋が発行していたフリーペーパーのインタビューを受けた事があります。 “私の絵画の原点について” みたいな話をしました。中学生の時に親戚の人から油絵の具一式を貰って油彩画を始めた事。そしてある時、窓から見える山を描いていて、山肌に見える木々の色や形がくっきりと見えるのに、豚毛の固くて太い筆では思うようにいかず、 “俺は下手クソだな” とがっかりして椅子から立ち上がって離れてみたら、そこに山の景色がしっかりと描かれていた事。近くで見ていたら唯の絵の具の塊なのに離れて見たら山の景色に変っていたという経験が(その時の驚きと感動が)私の絵画の原点となった。この話をしたらインタビュアーの方がすごく喜んで、プリゴジンという人の “ゆらぎ” の理論を持ち出して共感してくれました。

以下その抜粋
 :モザイクのおもしろさは、「物質が空間」になるところだとOさんは語ります。近くで見るとガラスや石にしか見えないのに離れて見ると空間が現れるおもしろさ。光が乱反射するガラスや大地の色を放つ石からは、物質に宿る命が見えるかのようです。
 私たちは美に触れる時、状況や生活背景、心の状態といったさまざまな座標軸によって感動の波がゆらぎます。自己を探り美を創り出した作家自身のゆらぎにも共振して。
 〈ゆらぎ〉についてはノーベル化学賞受賞者イリヤ・プリゴジンが次のように説いています。『〈ゆらぎ〉が外的なエネルギーの交流によって強化されるときシステムは混沌へと向かうのではなく、より高次の秩序へと進化する』『希望と考えるのは、小さな〈ゆらぎ〉でさえも成長して、全体構造を変えうるからである。それゆえ、個々の活動は無意味なものとして運命づけられてはいない』。この理論は・・・・:

 プリゴジンの理論は良く分かりませんが “ゆらぎ” という言葉は気に入りました。作品を見る時、先ず無機物の美しい石やガラスが眼に入る。次に個々の材料が有機的に組み合わさる事により、素材の材質感とは ”違う質感” を帯びた物が周囲の空間と共に現れる。硬いガラスがふっくらとした食パンの焦げかかった皮に見えたり、切り口から溶けかかってしたたる前のカマンベールチーズに見えたり。あるいはガス台のケトルを沸騰させる青白い炎に、白いガラス片が透明なビニールの反射光に。
 鑑賞者の意識が、現実(石やガラス)と幻覚(描かれたイメージ)の間を行き来する。常に見え方が移ろい、気持ちが “ゆらぎ” 続ける。そう云った作品を作りたいと思っています。

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by mosaiquedodeca | 2016-09-12 18:46 | ガラスモザイクの制作 | Comments(0)