ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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エスプレッソ 続き

 エスプレッソコーヒーの作品が完成しました。

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 前回にも書きましたが、エスプレッソとコーヒーは別々の作品として作ったことがあります。40ピース位で作る「ミニ・モザイク」シリーズとして作りました。

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この小品は、こどもの国の体験講座の作品サンプルとして飾ったり、カルチャー教室での体験メニューの見本にしたりしました。

 何年か前にNHK柏教室の生徒さんが私の作品を見本にエスプレッソの作品を作りましたが、その色の使い方の素晴らしさには感心してしまいました。私の見本よりずっと色彩的に出来ていて、正直 “負けた” と思いました(その事は当時ブログにも書きました)。今回はその色の使い方を参考にして作りました。

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私の見本作品と生徒さんの作品・・・・・・・・生徒さんの方はとても色彩的ですね。まるでフォーヴィズム(※)の作品のようです。

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※ フォーヴィズム(Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称。1905年、パリの展覧会(サロンドートンヌ)に出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家が「野獣(フォーヴ)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。 主要な画家としてはマチスやドラン、デュフィ、ヴラマンク、ルオー等がいる。—(ウィキペディア)

 フォーヴィズムは印象派やキュービズムのように理知的では無く、主観的な感覚を表現したというように言われていますが、色彩の使い方には合理的な根拠があるように思います。すべてではありませんが、マチスやドランなどの(その時期の)絵については説明出来ます。

 フォーヴィストは「目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した」とウィキペディアに書いてあります。これは誤解を受け易い表現です。「主観的に(それぞれ勝手に)色彩を付けた」という意味に取られがちですが、そうではありません。人間誰しも持っている “色彩を感じる力” を、絵の具で表現したということです。たとえば、 “赤い色面に囲まれた同明度のグレイは緑色(赤の補色)掛かって見える” といったような、生理学的現象に基づいた色彩の使い方をしたのです。言ってみれば、目の錯覚で生まれる色彩を絵の中に表現したのです。強い光の中でしか起きない錯覚は、キャンバスに絵具を塗っただけでは再現出来ません。そこで、その錯覚によって生まれる色彩の変化を、絵具の色に置き換えて表現しているのです。

 「心が感じる色彩」とは、光の分析で得られる波長毎の分量を表すような、物理的・光学的な意味合いではなく、脳が感じ取る “色彩” という意味です。情緒的な意味ではなく、誰でも生理的に感じる色彩のことです。そもそも色彩は “光” そのものの中には、存在しないのです。目は光を捉えますが、その時点では「光が差し込んだ」状態に過ぎません。光を網膜が捉え、脳に信号で送った後にしか、色彩は存在しないからです。つまり、色彩は人の脳の中にしか現れません。ゲーテが「我々は目の中に太陽を持っている」と言ったのはおそらくこの事だと思います(ゲーテは色彩論を書いています)。

 しかし、フォーヴィストと呼ばれた人の中でも、生涯に渡ってその延長線上の仕事をしたのはマチスくらいです。マチスは「色彩の魔術師」と言われました(例えば、素晴らしい色彩の絵を描いたボナールでも、「魔術師」とは呼ばれませんでした)。その理由は最晩年の仕事、「ジャズ」のシリーズの本物を見た時に分かりました。白い場所がピンクに見えたり、同じグレイの色が場所によって違う色に見えたりと、明らかに目の錯覚を表現に取り入れていました。「心が感じる色彩」とは、光学的な意味合いの色彩に対して、脳が感じ取る “色彩” という意味です。情緒的な意味ではなく、誰でも生理的に感じる色彩のことです。ゲーテが「我々は目の中に太陽を持っている」と言ったのはおそらくこの事だと思います(ゲーテは色彩論を書いています)。

 同じフォーヴィストのドラン、ヴラマンクなどは全く違った独自の世界を展開しています。ドランは光の表現を、色彩より明暗の諧調で行い、油絵の具の艶やかな質感で、なんとも言えない魂を揺さぶる様な仕事をしています。若い頃のフォーヴィズムの色彩表現に戻ることはありませんでした。
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by mosaiquedodeca | 2012-06-26 11:39 | ガラスモザイクの制作 | Comments(0)

プータのお礼

 宅急便の車が去った後、玄関の外に居る家内が私を呼んでいます。「ねえ、ちょっと来て!」「なんだよ〜」「いいから来て!」 行ってみると、家の前の道路に白い猫が車に轢かれて死んでいます。宅急便のおじさんが教えてくれたのだそうです。私に片付けて欲しいと言うのです。言うまでも無く早く移動しないともう一度轢かれないとも限りません。それ程損傷はなくまだキレイな状態です。シャベルに乗せて取りあえず空き地の草むらに置きました。死後硬直も始まっていなくてクネクネするのでシャベルに乗せるのに苦労しました。最近よくこの空き地に来ている、ちょっとデブッチョの猫です。臆病で、私を見ると直ぐに走って逃げるような奴でした。
 どうしようかと、しばし思案。結局、我家の庭のプータが眠って居る場所の隣りに埋めてやることにしました。 “これでプータも寂しく無いだろう”。 埋葬作業はすべて私の仕事です。家内はこういうことは一切やりませんし、見もしません。怖がってダメなのです。なんというか、犬猫に感情移入しすぎるのです。

 その日の夕方のクーコの散歩の時の話です。朝は私が行きますが夕方は家内の担当で、その日も彼女が行きました。いつものコースを歩いていたら、どこからか猫が一匹ついて来たのだそうです。それが、体の模様こそ(※)違いますが、体格、立派なしっぽがプータに良く似た猫で、不思議な事にクーコが何の反応も示さず、さも一緒に居るのが当たり前のような態度だったそうです。クーコは猫を見ると追い掛ける習性があるのですが、その猫のことは、追い払いも追い掛けもしなかった。そして、しばらくついて来て、車が通った時に草むらに逃げてそのまま居なくなったそうです。家内が言うには、 “あれはプータに違いなく、きっと白い猫のお礼に来た“ のだそうです。確かにクーコが追い掛けないのは変ですけれど・・。

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      アライグマのようにしっかりとした縞模様のプータのしっぽ

 プータが死んでから、時々近所にプータに良く似た猫が現れます。生前プータはこの近辺の猫大将で、全く敵無しの状態でした。去勢するまではあっちこっち遠征していましたから、子孫が居てもおかしくはありません。それらのプータ似の猫は、私達にとっては好もしい存在でしたが、クーコは全くお構いなしで見ると必ず追い掛けました。クーコにはプータに似ているとか関係なく唯の ”狩りごっこ” の相手にしか見えなかったようです。ですからついて来た猫にクーコが無反応なのはちょっとおかしいのです。やっぱりプータだったのでしょうか?
 しかし、白い猫を隣りに埋葬してあげたのは私で、家内は一切何もしてないのですが・・・。何で家内にお礼なんですか?


以下はプータとクーコのツーショット写真集

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      クーコがまだ子供の頃

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      この頃はもうクーコの方が体が大きいのに体重は同じ位でした

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      ふたりでおやつを待っている

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    台所の片すみで。それにしてもここから見るとプータはまんまるですね。

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自分も膝の上にだっこしてもらいたいのでしょうか?プータにちょっかいを出そうとするクーコ

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      クーコの散歩について、空き地まで来たプータ

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      プータを遊びに誘おうとするクーコ

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この頃のクーコは毛穴の中に住みつく虫(毛包虫)のせいで体毛が抜けて斑になっています

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      しつこく遊びに誘うクーコ

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          たまりかねて木の上に避難するプータ

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虫が付く病気も治り、すっかり健康になったクーコですが、相変わらずプータと遊びたがりました。プータは紐の長さを計ってクーコが届かない場所を悠々と歩いています。


※プータが初めて我家の庭先に現れた時、不思議な模様の猫だなあと思いました。家に遊びに来た叔父は「お、ハイカラな猫だなあ」なんて言っていました。猫図鑑みたいな本で調べてみたら、どうもアメリカショートヘアー(以下略して:アメショー)という種類らしかったです。体格がズングリムックリなのがちょっと違って見えましたが、模様は全く同じでした。気が強いとかジャンプ力があるとか、性格や身体能力などはどうもそうらしいです。耳の先の毛が少し長くピュッと伸びています(山猫のように)。目は奇麗な緑色(エメラルドグリーン:けっこう珍しい色です。近所では見た事ありません)でした。体毛の色はいわゆるポピュラーなアメショーの色、シルバータビー(白黒)では無く、ブラウンタビー(黒と茶色)でした。5年程前に病死しましたが、これがなんというか、凄まじい猫で、興味のある方は右のカテゴリー「猛描プータと愛犬クーコの話」のプータに関しての記事をお読みください。
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by mosaiquedodeca | 2012-06-20 23:52 | 猛描プータと愛犬クーコの話 | Comments(0)

エスプレッソ

 我家にはエスプレッソコーヒーの道具があります。 “機械” でなく “道具” と言ったのは、今や家庭用の機械も売っているからです(何年か前にセブンイレブンでも売り出したことがありました)。アルミ製で角張った、絵のモチーフにもなる、なかなかおしゃれな形をしています。下が広がった短い8角柱(8角錐の下の部分とも言える)の容器が下にあり、その上にそれを逆さまの形にした容器が乗っています。上下の中間には帯を締めた様な輪切りになった円柱形の部分が付いています。下の容器に水を入れ、中間の部分に挽いたコーヒー豆を入れます。これを火にかけて蒸気となった水がコーヒーの粉を蒸し乍ら上の容器に登ってきます。シュー〜〜ブクブクブク・・・・。普通にいれるコーヒーより手っ取り早く出来ます。因みにエスプレッソはイタリア語で「急行」という意味です(ご存知のように、英語ではエクスプレスですから)。お湯を注いで、ゆっくり落とすコーヒーに比べて、蒸気で一挙に蒸しいれるのでそう命名されたようです(※)


 今これをモザイクで作っています。コーヒーカップと組み合わせて構成しました。

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   背景を何色にしようか思案中です


余談
フランスの喫茶店(キャフェ)ではコーヒーを注文する時、アン・キャフェとかドゥー・キャフェと言うより、アン・エクスプレス(アンネクスプレスと発音)、ドゥー・エクスプレス(ドゥーゼクスプレスと発音)と言う方が一般的です。駅じゃなくキャフェに居る時は “エクスプレス” と言えばコーヒーの意味になりますね。日本の喫茶店のエスプレッソよりもっと小さいカップに、半分くらいの量の、もっとにが〜いコーヒーです(イタリアに行けば更に少なく、濃い味になります)。私は好きですが、砂糖を入れて甘くして飲みます。甘くしないと、ちょっと・・・。日本の喫茶店で飲む様なコーヒーを頼む時は “アメリカン” と言えばいいです。普通の濃さのコーヒーが出て来ます。フランス人にしてみれば日本のコーヒーはすべて“アメリカン”ということです。
しかし、フランス料理やイタリア料理のようなこってりしたものを食べた後はエスプレッソコーヒーが美味しいですが、日本に住んでいる限り、飲みたくなることはそんなにありません。従って、我家のエスプレッソ器はもっぱら絵のモチーフとして活躍しています。
 ※訂正です。急行。だからでは無く、元々圧をかけるという意味のプレッションから出来ている言葉ですね。急行も同じ語源から来ているのでしょう。

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by mosaiquedodeca | 2012-06-14 13:42 | ガラスモザイクの制作 | Comments(0)

パンとワイン・パート2

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 パンとワインをモチーフに作品を作りました。以前にも頼まれて小品を作ったことがありましたが、それより一回り大きい作品です。今回はパンとグラスに入った赤ワインの後ろにボトルを配しました。

 これに合う額縁がまだ見付かって無いので居間に裸のまま飾っておいてしばらく眺めていようかと思います。我が家の居間の本棚にはこのようにして行き場の決まってない水彩などの小品が沢山あります。描いたばかりの時は新鮮で、 “なかなかうまくいったなあ” なんて悦に入っているのですが、そのうち飽きて来ると云うか、欠点が見えて来たりして、 “こんな筈じゃあ無かったのになあ・・” などということになってきます。でもこれも次の作品の構想を考える参考になったりしますので、役に立ちます。自分の作品を検証するには、日常空間の中に置いて毎日ぼんやりでもいいので眺めるのが一番良い方法です。

 思い起こせば学生時代、3畳一間のアパートに布団を足の方半分押し入れに突っ込んだ状態で寝ていて、自分の絵を布団の中から良く眺めました。朝起きた時などに壁に掛かっている絵を見ると、構図の欠点がよく見えるのです。描写の下手な事などはさほど気になりませんでしたが(それは日々上達して行きますから)、構図の拙さは一度気が付いてしまうと、ずっと気になってしまいます。そうなると日毎に絵が悪く見えてきて、決して以前の見え方に戻る事はありませんでした。
“構図” は絵の要素の中で一番重要な、肝心要のものだ、と気が付いたのは意外にも “布団の中” だったという事です。

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ガラスモザイクと水彩画の中にプータとクーコの写真も・・。本を出す時は大変です。

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by mosaiquedodeca | 2012-06-07 16:47 | ガラスモザイクの制作 | Comments(0)