ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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 昨年の11月頃の事でした。その日は外房(房総半島の太平洋側の地域・内房は東京湾側)の一宮方面に用事があり、帰りに白子町にあるスーパーに寄りました。家内の体の具合が悪くて私がご飯を作っていた時でしたので、何か簡単に食べられるものを買って行こうとちょっと寄ったのでした。お惣菜のコーナーへ向かって歩いていたら後ろから声が・・。「オグロ君?」女性の声に振り返ると、そこにはとても懐かしい顔が。一瞬頭が真っ白になりました。何故ならそこに居る筈の無い人が居たからです。

 今から遡ること35年あまり。22歳の春にフランスに留学した私は、殆どフランス語が出来ないので先ずは語学学校と思い、大学都市でもあるブザンソン(フランス東部の都市)の語学学校に行きました。そこにはあらゆる国々の人がフランス語を学びに集まっていました。中東の国々の人、アジア諸国の人、中南米の人、そしてアメリカ人などが同じ教室でフランス語を学んでいました。私は何人かの日本人と共に、当然ですが、初級クラスに入りました。しかし初級クラスといっても、中にはスペイン人などのラテン語系統の言葉を母国語に持つ人達もいます。最初はともかく、一と月も経つと彼等はペラペラとフランス語をしゃべるようになりました。スペイン語やポルトガル語、イタリア語などを話す人は、直ぐに上達して行きましたが、我々日本人はいつまで経ってもまともな会話になりません。全員が劣等生でした。それもその筈、スペイン語などのラテン語系統の言葉は大変似ていて、例えば九州弁と東北弁の違いくらいしかないようなのです。彼等は最初こそ少し戸惑うものの、じきに慣れて、あっという間にマスターして行きました。それに比べて我々日本人はいつもとり残されていて、 “果たして自分は話せるようになるのかしら?” と皆不安に思っていました。

 そう云う中で同じクラスにいた一人が、白子町のスーパーで後ろから声を掛けて来たナオヨさんです。「え〜! 何で?(ここにいるの?)」というのが私の第一声です。だって彼女はフランス大使館に努めている旦那さんとパリに居る筈なのです。彼女は「ねえねえ、ハジメさん!やっぱりオグロ君よ」と後ろで肉売り場を見ていた旦那さんを呼びました。そこで改めて話を聞いてみると、定年退職して日本に帰って来たのだと言う事、白子町に売りに出していた農家を買って移住して来たという事が分かりました。しかしよりによってうちの近所に来るとは何と言う偶然でしょうか? ビックリです。冷凍食品の大きな冷凍庫の横で、近況や昔の事などを(興奮しているのででっかい声で)延々と話し続ける様の異様さに、冷静な旦那さんが止める迄気が付きませんでした。とにかく後日ご夫婦で我が家を訪問するという事で、携帯番号とメルアドの入った名詞を渡してその場は別れました。しかし帰ってから何だかへんな気持ちがしました。夢だったんじゃないだろうか? それくらいミスマッチ感があったのです。だって35年以上もの間パリの郊外で家を構え、お子さんを育て上げ、私が日本に帰ってからは10年位に前に東京で一度しかお逢いしていない人と(ご主人とは30年前)、こんな片田舎のスーパーでバッタリ逢ったのです。どうしても同じ空間に居るという事が信じられなくて、(都合の悪いことや辻褄の合わないことにはお構いなくどんどん話が進んで行く) “夢” の世界で起こった出来事のような気がしてなりませんでした。

 さて、劇的な再会を果たして旧交を暖めた後、コタニ家の表札を作る事になりました。上の写真がそれです。引っ越したばかりなので、近所の人達も「 “なんという名前の人が引っ越してきたんだろう?” と思っている様だから表札が欲しいんだよね」という事でした。郵便受けの上に同じ幅のものをというご要望だったので、かなり大きくなりました。横幅が36センチもあります。大きな面積なので名前だけでは間が抜けてしまいます。ローマ字ではなく漢字にして欲しいということなので、文字数が2文字しかありません。しかも画数の少ない単純な作りの字です。ですからあまり文字を大きくすると格好悪いので、空いた空間に何か絵か模様をあしらわなければなりません。どんなデザインが良いのかと考えました。しかし、アイデアは意外にあっさりと浮かびました。ご主人の計画を伺っている時に思いついたのです。郵便受けの回りを槙の木の生け垣にして四角くくり抜く予定だとおっしゃいました。“槙” の生け垣と聞いてピン!ときました。

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 昨年の秋にクーコの散歩の途中に地面に赤紫の実が沢山落ちている場所がありました。何の実だろうかと見上げると、それは大きな槙の木でした。枝を見ればまだ実が沢山ついています。赤いのや、熟れて紫になっているもの等があります。しかし、良く見るとその実がなんだか変なのです。先に緑のまるい玉がついています。最初は何かの病気なのかな?と思いました。我が家に植えた山茶花の枝に同じような緑の玉が付いたことがあったからです。それはなんだか気持ち悪くて、きっと何かの病気だろうと思いました。しかし、この槙の木は他の実も全部そうなっています。博学の人に訊いたら牧の実はそういう風になるのだそうです。面白いと思って枝を持ち帰って、水彩画にしました。赤や紫の実と細長い緑の葉っぱの組み合わせが美しかったので何枚も描きました。その絵があったのでそれをアレンジすればデザインが出来上がります。

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   キレイですがちょっと名前の文字が大き過ぎます

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   このくらいの大きさがバランスが取れていいですね

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下絵の書体は仮に入れたもので、コタニさんには上の4種類の他にもいくつかの書体を示して選んで頂きました

 下絵をお見せしたら「格好いいね!」の一言を頂けたので、制作に取り掛かり、先日取り付けに行ってきました。まだ明るい4時半頃に行って取り付け、“その後に、一緒に夕食を” という段取りでした。そこで御馳走になったのはとても懐かしい味でした。数日前、「シュークルート(※)があるんだよ。しかもフォーションだよ!」と何度も電話口で繰り返されたご主人。フォーションて・・・パンとか紅茶とかの? なんでシュークルートがフォーション? と思いましたが、どうやらフォーションはお惣菜も作っているらしいのです。その缶詰か瓶詰めのが手に入った模様なのでした。その夜はシュークルートパーティーで、昔話を交えながらの楽しい会話で盛り上がりました。さすがフォーション。とても美味しくてかなりの量を用意して下さったソーセージも四人で完食です。半分位は私が食べたような気もしますが・・・。翌日は朝食を抜きました。

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   ガラスチップを並べ終えたところ。これを磁器タイルに貼付けます

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       目地を入れました

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側面にもガラスタイルを貼付けてあります。裏には外国産の腐りにくい板を貼付けてあってそれをステンレスビスで取り付けました





※ シュークルートとは冬に地面に穴を掘ってキャベツの千切りを詰めて、白ワインに浸けて醗酵させて作るドイツの保存料理です。ドイツ語ではザワークラウトといい、フランスでは、戦争のたびにフランス領になったりドイツ領になったりした、アルザス地方の料理です。肉やソーセージと一緒に煮て食べます。私は留学時代よくこの缶詰を買ってきて食べました。缶詰のは既に火が通っていて肉やソーセージの脂が馴染んで美味しくなっています。結構好物でした。コタニさんはそれを良く憶えていて下さって、招待してくれたのです。
 因みにフォーションのシュークルートは特別で、他のメーカーのものの10倍近い値段がするそうです(シュークルートの缶詰自体は、学生だった私がしょっちゅう買っていたくらいなのでそんなに高くないですが)。 さすがフォーション! ブランドの力は凄いです。コタニさんが何度も「フォーションだからね!」と嬉しそうに繰り返していた理由がこれでした。美味しかったです、やっぱりフォーション! 間違いないですね。
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by mosaiquedodeca | 2011-03-17 10:15 | ガラスモザイクの制作 | Comments(0)

緊急避難

 私の住んでいる場所は九十九里浜から5〜6kmの所にあります。3月11日の地震の時は家の中にに居ました。あまりの揺れに外に逃げ出せず、家内と犬(逃げようとする犬は押さえつけて)とでトイレに逃げ込みました。最初の揺れが収まってから外に出ました。停電していたので、テレビのニュースも見れないし、携帯ラジオは電池が入っていません。同じく外に避難している近所の人のラジオを聞くと10m以上の津波の恐れがあるというニュースが流れていました。

 ここに家を建てる時に不動産屋に「この辺は大網駅のある場所迄10kmあるけど海抜10mしかないんですよ」と聞いていました。その時に思ったのは “九十九里沖に関東大震災級の大地震が来たら津波に呑まれてしまう”ということでした。

 回りの人達と、津波はここまで来るんだろうか? という事を話し合いましたが、みんな地元の人達ではないし、「どうなんだろうね? ここ迄は・・どうかな?」と言うばかり。私はその人達に、「自分達は念のため山の方に逃げます。」と言い残して暖かい服と少しの食料とクーコを連れて逃げました。近所の人達には一応避難すると云う選択肢もあることを言ってきたので、後は自己判断だと思いました。皆が動き出すと渋滞してしまうから、逃げるなら早いうちがいいとも伝えました。道路は普段より多少車が多いくらいで、避難しようとしている人達はあんまりいなさそうでした。停電で信号が消えていましたが、順番に通過していて問題はありませんでした。しばらく走ると停電していない地域に入りました。山に少し入った地点のコンビニの駐車場に車を止めて時間を過ごしました。コンビニで電池を買ってラジオを聞いていましたが、時々大きな揺れが来て、コンビニから慌てて人が出て来たりしました。天気予報通りに6時頃雨が降ってきました。暗くなってから、ラジオのニュースで九十九里は津波の高さが大したことない事を知って帰りました。近所の中で避難した人は、東京に仕事に行っている旦那さんから電話で、「山の方に子供達を連れて逃げなさい」と言われた家族と、我が家だけでしたが、翌日話をした人達には、逃げて正解だったと言われました。テレビで津波の被害の映像を見て(夜中に電気は復帰しました)そう思われたようです。私の心配は杞憂に終わって幸いでした。唯、海岸の人達が地震発生から10分くらいで津波に襲われたことを知って、もし震源が近かったら私の逃げたタイミングではまったく間に合わないことを知って恐ろしくなりました。

 今回津波の被害に遭われた方達がお気の毒でしかたありません。人口の半分以上の1万人位の方と連絡が取れない町のニュースを聞いてあまりの事に涙がでました。どうかこれ以上犠牲者の多くならないことを祈ります。
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by mosaiquedodeca | 2011-03-14 13:13 | Comments(0)