ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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<   2010年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

外房のアート情報誌「Art Editor」に、また、記事を書きました。日本のマンガ文化の一部について、絵描きの視点から書きました。マンガと言えばドラマや映画化されることが多いように、そのストーリー性が最近は注目されています。しかし、私は自分の専門分野である絵画表現について書きました。ピカソと谷岡ヤスジの共通点について少し強引な説を述べましたが、共感を憶えて下さいますでしょうか?


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以下が掲載文です。
(先程アップした記事文は作成途中の原稿を間違えて入力したものでした。最終的な掲載文に差し替えました。)

大衆の美術
—日本のマンガに見る絵画表現—

江戸時代の浮世絵は狩野派のような宮廷の絵画に比べて低俗なものと看做されていました。次世代に残さなければならないような価値のあるものとは思われていなかったようです。それは、輸出用の陶磁器の包装に使われて海外に流出してしまったなどというエピソードがあることからも伺えます。
いつの時代にも、大衆に好まれ人気を博すものの、直ぐに消費され消えて行くものがあります。それらはしばしば、世相を反映して世俗的な興味を惹く内容だったり、人々の欲求にストレートに答えるような表現だったりします。言い換えれば、高い知識や教養を持ち合わせていなければ充分に堪能出来ないようなものでは無く、誰にでも即座に理解出来て楽しめるものです。

昭和の時代から現在まで、日本では “マンガ本” が大量に発行され消費され続けています。マンガのことをフランス語で “bande dessinee” と言います。これは《帯状の絵=デッサン》という意味です。この言い方は、たとえばスーパーマンやスパイダーマンなどの本を見ると分かる気がします。これらの絵には、美術を専門に勉強した人でなければ描けないような高度なデッサン力が窺えます。美術解剖学的に見ても、骨格の構造や筋肉の繋がり方などが適確に表現されており、優れた “デッサン” の連続で出来ています。そこには古代ギリシャ時代から連綿と繋がる西洋美術の伝統が息づいているのです。本の装丁も割合立派なもので、何度も読み返してはあるいは絵を見直しては楽しむという感じで、まるで絵本のような扱いです。しかし一方、日本のように毎週毎月それぞれ何百万部も出版されるマンガ誌がいくつもある状況は、欧米ではあり得ません。しかもそれが何十年も続いているのです。沢山の人に親しまれ、短時間に消費される。そしてあまり高級な娯楽とは思われていない。こういった状況を踏まえて、“マンガ” がすなわち現代の浮世絵か? と言うと、あまりにも社会状況や時代精神が違うので何とも言えません。しかし、この圧倒的な量の中には何かしら拾い上げて然るべきものが含まれているのではないかと私は考えます。マンガに親しむ膨大な数の日本人が何十年にも渡って大きな市場を支え続けているのに、そこに見るべきものが何も無いとは思えないからです。

私が面白いと思っているものの一つは、いわゆるギャグマンガの分野の絵です。赤塚不二夫さんのニャロメや谷岡ヤスジさんのマンガに出て来る「アサーッ!」と叫ぶ鳥などは、ハチャメチャですがとても興味深い表現だと思います。顔の輪郭や歯や目などの配置、大きさを無視して、生体としての辻褄合わせより感情の表出をストレートに表現しています。それは生物としてのリアリティーに満ちており、まるで《20世紀初頭に周りから気が狂ったのでは無いかと思われながらも新しい表現方法 “キュービズム” を産み出した》ピカソの絵のようです。テーマは違えど、ピカソの「泣く女」と谷岡ヤスジの “ムジ鳥” はどこか似ています。私は同じくらいに傑作だと思っているのですがどうでしょうか。日本の漫画家の中には、ギリシャ美術の伝統を受け継ぐ代りに20世紀の美術からインスピレーションを受けた人がいるのかも知れません。それはともかく、“マンガ” は現代の日本文化の興味深い一面を表していることは確かだと思います。


以上

今回残念だった事は載せたかった画像が一切載せられなかったことです。印刷物なので、載せるには版権を持っている方の許可が必要でした。どの画像についても、うまく連絡が取れませんでした。
以下の画像と注釈文が付く予定だったのですが、載せられませんでした。

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      スーパーマンと少年の表現には確かなデッサン力が感じられる

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     赤塚不二夫 “ニャロメ”       谷岡ヤスジ “ムジ鳥”
     無茶苦茶な表現なのに何故か生き物としてリアリティーを感ずる


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           ピカソ “泣く女”

「オグロさんのデッサン無い? それを載せるから」と編集者の伊藤さんから電話があり、急遽自分のデッサンを挿絵のような形で載せる事になりました。本文との関連性がイマイチですが、少しでもデッサン教室の宣伝になれば、という伊藤さんの暖かい配慮でした。
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by mosaiquedodeca | 2010-03-21 11:47 | アート・エディターの記事 | Comments(0)
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自分はいつ頃から絵を描くようになったのか? 私はあんまり子供の頃の記憶が無いので思い出せません。小学校の頃に “0戦” の絵や “エイトマン” の絵を好んで描いていたのは憶えていますが、幼稚園くらいの頃の記憶となるとさっぱりです。あんまりお絵描きが好きでなかったのか、あるいは昔の事なので紙もクレヨンも無くて、誰もお絵描きなんてしない時代だったのかも知れません。きっと地面を木の枝か釘なんかで引っ掻いて何か描いてたくらいだったのでしょう。
いったい何歳くらいから物の形を認識出来るようになるのか? 自分の手の先から生まれる線や形と頭の中に浮かんでいるイメージと結びつけることが出来るようになったのか? そう云った事はあんまり考えたことがなかったのですが、そのことが如実に分かるような現場に遭遇しました。子供の脳の発達の段階が明らかになるような貴重な体験をしたのです。

それは「千葉こどもの国キッズダム」で幼稚園児のガラスモザイク体験を頼まれてやった時のことです。人数が多かったので年齢毎に分けてやりました。5〜6歳児の年長のグループとその1つ歳下の4〜5歳児とに分かれてやったのです。

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    —ご挨拶をして席に着いたら作品作りの始まりですー

今回の体験はいつもと違って小さいお子さんなので、サイドビッター(ガラスカットの専用ペンチ)でガラスをカットするということはやりませんでした。予め、三角、四角、丸、涙型など、色んな形にカットしてあるガラスチップを沢山用意して行き、その中から色と形を選んで並べて作品を作ってもらったのです。
最初は年長の園児達にモザイクをやってもらいました。車やお家、ハートなどの見本を見せて “こんな風にやるんだよ” って説明してから作ってもらったので、割合にスムーズに出来ました。ガラスモザイク体験の場合、あんまりこだわりの無い思い切りの良いお子さんは、早く作品が仕上がります。そういう作品は見本の作品と大体似たようなものに仕上がっています。お絵描きが好きなお子さんなどの作品は夢中になってじっくり作るので、他のお子さんの2倍か3倍の時間が掛かります。そのかわり自分の作りたいものがはっきりしているので、オリジナリティーのある作品が出来上がります。

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—制作に熱中するお子さん達と早く終わってお友達の作品作りを見ているお子さんー

年長さんが終わってから、交替で1歳年下の4〜5歳児が作りました。小さいお子さんなのでもっと時間が掛かると思っていたら、むしろこちらの方が早く出来上がりました。しかも比較的隙間無くキッチリと埋まっているので、一見うまく見えます。しかし、良く見てみると物の形のイメージが弱いものが多いようです。ジグゾーパズルのようにキチンと埋まっているのですが、何かの形を作ると云う意識が若干弱いような気がしました。

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上の10点は年長さん達の作品です。上段は機関車や車。中段左は線香花火、右は虹だそうです。下段はひまわりと家(左から2番目はちょっと分かりません)。
ぎこちないですが、なんとかイメージした形に近付けようとしている作品が何点か見受けられます。イメージが優先している為か、隙間が埋まらなかったり、極端に小さな破片を捜して埋めたりしています。虹の作品などは他の園児達が全員終わっても黙々とやっていました。


下の10点は一年歳下の園児達の作品です。家やお花などイメージがはっきりしているものもありますが、ただキチンと並べているだけで何かの形を作っている訳でも無さそうなものが混ざっています。全体的に見て年長さん達の作品より、びっちり埋まっている感じがします。中段右のひまわりの作品も、花を下の方まで丸く完成させるより、白い縦長のピースをきっちりとキレイに埋めるという意識の方が優先しているように見えます。

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接着剤で貼付ける為にテーブルの上に並べた時、何だか作品の感じが年長さん達と歳下のお子さん達の違うような気がして、良く観てみたら上記のようなことが分かりました。 “一歳違うと随分違うものだな” と感心しました。

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by mosaiquedodeca | 2010-03-16 00:26 | 体験教室・こどもの国他 | Comments(0)

創翔工芸展その2

「このエッジが大事なんだよね」、その一言で私の頭の中に立ちこめていた霧が晴れて見はらしが良くなっていく気がしました。セリフの主は阿保昭則さん。日本一の鉋削りの腕を持つ棟梁です。市原市で先月行われた創翔工芸展に出品されていた彼の椅子の背もたれの部分についての一言です。
大工の彼が何故工芸展に?と思われるかも知れませんが、素晴らしい家具を作っていることを知っている私からお誘いして出品してもらったのです。

創翔工芸展は概ね評判が良かったようです。(勿論課題は沢山残されておりますが)いろんな分野の作品が展示されて、ある程度見応えがありました。個性的な作品が並ぶ中で静かに存在感を示していたのは阿保さんの作品でした。

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阿保さんの作品は、テーブルや椅子としての機能以外の部分にこれと言って目立つ “作意” のようなものは感じられません。ややもすればデザインが施されていないというように思われがちですが、実は私が一番美しいデザインだと思った家具は彼の作品でした。
最初に見た時、先ずテーブルの足の細さが気になりました。少し華奢すぎるのでは無いか?という風に見えたのですが、もしかしたらその瞬間、既に阿保さんの罠(?)にひっかかってしまっていたのかも知れません。暫く見ていると、(触ったりもして)堅く締まった造りと、細さと軽さとのバランスから頑丈さを感じ取る事が出来て、細さが気にならなくなってきました。むしろその繊細さが発している緊張感が心地よくなってきたのです。生活で使う物の “デザイン” とはどういうものか?の答えの一つがここにあるのではないかと思いました。

椅子やテーブルは実際に使う “物” ですから、使っている時の、手触り、重さ、堅さ、弾力、温度そして強度などの全てが、外から見た時にイメージされてしまいます。意識して居なくても、一目見た瞬間にそれら全てを感じ取って、そのデザインが好きとか嫌いとか(心地よいとか悪いとか)、人の脳は判断しているのです。ですから家具などは、作る人(優れた技術を持っている職人)が形を決めないと本当に良いデザインはなかなか産み出されません。たとえば、物を作った経験が乏しい人がどんなに遊び心に溢れた楽しいデザインを考えても、作ってみるとあんまり面白くなかったりします。また、図面上で美しく出来たデザインでも、実際に作るとバランスが悪かったりする事もしばしばです。それは、真っ直ぐな物が真っ直ぐに見える為には真っ直ぐに作ってはいけないなどと云う、物作りの経験が豊富で無いと分からない事が沢山あるからです。手作りでしか出来ない微妙な調整が、案外デザインの要であることが多いのです。

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会場で阿保さんはイタリアの建築家 ジオ・ポンティ の作った “スーパーレジェーラ” という木の椅子の話をしてくれました。レジェーラというのはイタリア語で軽いという意味ですから「超軽量」という名前の椅子です。すごく細身で重さが1,7kgしか無く(1,3kgのものもあるらしい)、強度を得る為に足の断面が3角形になっているのだそうです。制作に8年も掛かり、「やっぱり、それだけのモノを作るには8年くらい掛かるんだよね」と、試行錯誤の必要性を語るのでした。今回出品した自分の椅子に対しても、「前側の足の接続部の負担を軽減するために足の下の方をもっと細くした方が良いんだよね」と、次の課題が見えているようです。確かに言われてみればその通りで納得がいきました。きっと、どの程度細くすればバランスが良いのかを探って行くうちに、更にデザインが洗練されてくるのでしょう。
そう云ったような話の中で阿保さんが、椅子の背もたれの穿った部分の角のエッジが立っている事について発した言葉が冒頭のセリフです。実は阿保さんがいない時、知人とこの椅子の背もたれの話をしていたのです。その人は寄っかかった時に背中が少し痛いのでカドを取った方が良いと言いました。その意見に私は賛同出来ずに、座ってみて「僕は肉付きが良いから痛くないけどなあ…」なんて、やんわりと反論したのでした。何故かと云うと、そこの形を丸めて “ぬるく” してしまったらなんだか美しくなくなると感じたからです。どうして美しくなくなるのか?ということについては明確な答えが見付けられずモヤモヤしたままでした。でも、背中が痛いからという “使い心地” のことを言われると強く反論出来ないので、その点でもモヤモヤっとしていたのです。
陶器の茶碗やお皿でも、木工家具でも角の部分のエッジの利き方一つでその作品の印象が一変します。どの程度カドを立てるのか、あるいは丸めるのかで、重くも軽くも、頑丈にも脆くにも、柔らかにも硬くにも見えます。扱い方も豪快に出来たり、そっとやさしく気を使わなければならなかったりと、(実際の強度とは別に)左右されます。その選択が作者の作品に込めるメッセージ、デザインの重要な要素なのです。

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阿保さんの一言で、彼のデザインの意図がはっきりしました。それを私が汲み取れたことが分かってとても嬉しく思いました。同時に、それは私の「絵画」の見方にも共通するものである事が思い起こされて、頭の中の霧が晴れる思いがしたのです。彼の家具のエッジに対するこだわりは、絵画の空間表現の重要な要素 “描かれた物の輪郭の扱い方” に共通する要素なのだとガテンがいったのでした。もしかしたらそれは私の早合点かも知れませんが、近いうちに彼の事務所に遊びに行ってそれを確かめたいと思います。年に何回か私たちは すご〜い 長話をします。短い時でも2時間位、長いときは5〜6時間。お酒も飲まず、私の家内と阿保さんの事務所のミネさんと4人で延々と話すのです。きっとまた今回も家具の話に始まって、いろんな話を延々とすることになるでしょう。
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by mosaiquedodeca | 2010-03-09 00:11 | 阿保さんと耕木杜 | Comments(0)