ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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<   2009年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

年末、年始

 後、もう少しで今年も終りですね。我が家はクリスマス、お正月は特別なことは何もしない家です。クリスマスは別にクリスチャンでは無いので当然と言えば当然ですが、お正月もせいぜいいつもより少し美味しい料理とお酒をいただくだけで、だいたい何か溜まってしまっている仕事をしています。我が家(モザイクハウス)の洗面所のモザイクを施工したのも、居間と台所のモザイクを施工したのも、正月の休みでした。しかし、今年の年末、年始はちょっとその極めつけというか・・・12月22日から1月7日まで2週間まるまる仕事が入ってしまいました。
 場所は草津温泉です。草津に行くと言うと皆にうらやましがられるのですが、仕事をしに行くのです。温泉ホテルで泊まり客を相手にガラスモザイクの体験をやります。朝10時から夜の10時くらいまでやります。その間2時間の休みが2回入るのですが、その時には食事をしたり犬の散歩をしてあげなくてはならなかったりで、結構タイトなスケジュールです。それを15日間続けます。疲れるでしょうが、沢山人が来てくれると嬉しいですね。
 2〜3日前まで草津には全く雪が無かったのでスキー客が来ないんじゃないか?って心配していましたが、どうやら今は結構降っているようで大丈夫そうです。

 という訳でこのブログを更新するのも今年はこれが最後です。
では皆さん良いお年を!

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これは来年の干支の虎です。猫ではありません。(黄色と黒を使ってなかったら区別がつきませんが…)
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by mosaiquedodeca | 2009-12-20 20:11 | Comments(3)

外房の情報誌:Art Editor

 私の住んでいる茂原市は千葉県の房総半島の太平洋側にあります。この地方は外房と呼ばれています。この外房の文化を真剣に考えて活動している人がいます。伊藤純子さんというのですが、彼女は以前土気(とけ)という町でギャラリーを開いていました。今年の夏頃に彼女から連絡があり、少し協力して欲しいことがあると言うのです。会って話を聞いてみると、大網白里町(山武郡)の商店街の中にお店を開き、そこを拠点とし、茂原市、いすみ市、東金市、山武市まで活動範囲を広げて、文化情報誌を発行したいということでした。以前 “Art Editor” という名称で情報誌を発行していたのですが範囲がそんなに広くなく、土気・あすみが丘が中心でした。今回、その “Art Editor” を、一宮・いすみエリア、山武・長生エリアを加えて3つの地域で1部づつ発行したいということでした。1度に3部づつ出すことになりますが、その為には巻頭の記事が毎回3つ必要になります。彼女一人ではとても埋め切れないので私にも記事を書いて欲しいと依頼されました。私は美術、文化に関しては言いたい事はいっぱいあるのですが、きちんとした文章にすることは慣れていないので心配でした。しかし、誰か知り合いでいい仕事をしている作家のインタビュー記事でも、自分の美術・文化に関する考えをまとめたものでも何でも良いということなので、やってみました。
 いろいろ考えた末、「生活の中の美術」という題名で昭和の型板ガラスについて書きました。型板ガラスとは、透明ガラスにレリーフで色んな模様を付けた昭和30年代頃から盛んに作られ、住宅に使用された、私くらいの年齢の人にはとても懐かしいガラスです。それを引合いに、生活美術に関して思っていることを書きました。短い文章でも結構大変でしたが、自分の考えをまとめる良い機会になりました。

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私の書いた記事はArt Room というページに載りました。

 その記事の全文を以下に記します。

「生活の中の美術」
—昭和の型板ガラスに見る装飾のこころー

 昭和の型板ガラスというのをご存知でしょうか?ご年配の方ならおそらく誰でも知っておられる筈の物です。そう云う呼び名があるという事を知らないだけで、目にすれば皆さん「懐かしい」とおっしゃると思います。昭和30年から50年頃にかけて盛んに作られた、窓や引き戸あるいは戸棚などに使われた《立体レリーフ》装飾ガラスのことです。ガラスにザラメやギザギザ、幾何学模様、植物模様などの凹凸が付いていて、いわゆる、光は通すが視線は遮るという役目を持った装飾ガラスです。
 日本人の暮らし振りは、昭和の時代に大きく変化しました。経済成長と共に次々と生まれて来たのは電化製品だけではありません。日本の住宅も大きく変わり、新しい建材、建具、家具、設備がどんどん作られ、実に様々なものが姿を現し、そして消えて行きました。土やしっくいだった家の壁は、キラキラ反射するカラフルな繊維を練り込んだ塗り壁の時代を経て、化粧合板、ビニールクロスへと変わりました。台所の様子も、三和土の土間から板の間、そしてフローリングの床になり、 “かまど” はコンクリート・タイル貼りになったかと思うと、ガスレンジに取って代わられ、更にシステムキッチンへと ーご飯炊きが薪からガスそして電熱に変わると共にー 姿を変えました。
 そんな中、いっとき時代を席巻し、いつの間にか消えてしまったものがこの「昭和の型板ガラス」です。この型板ガラスには色んな模様の物がありました。私の実家の縁側と茶の間の間にあった引き戸は、下が板で、上が障子、真ん中がガラスの戸でしたが、ここに使われていたのは笹の葉をモチーフにした型板ガラスでした。10センチ位の細長い笹の葉がバランス良く散りばめられておりました。周りはザラメになっていましたが、その部分だけが平べったく透明になっていて向こうの景色によって、ある葉っぱは白く、ある葉っぱは暗く見えて、自分が動くとそれらの位置が変わりました。今思うと、そのようにチラチラと変化する笹の模様を子供心にも結構楽しんでいたように思います。
 目隠しの機能だけで良いのなら、唯の曇りガラスで良い筈ですが、そこに何故様々な模様を入れて行ったのでしょうか? 板ガラスメーカーは競って色々なデザインを作り次々に発売して行きましたが、それを庶民が生活空間の中に喜んで取り入れたのは何故なのでしょうか? それは、私達の身を包み込んでいる住宅に、物理的な機能だけでなく精神の何らかの要求に答えるものが求められたからでは無いかと思います。壁のシミや柱の木目などを見れば、そこに田園風景を連想してみたり、節目の並び方に誰かの顔の面影を追ってしまう私達人間は:豊かなイマジネーションの海に生きる動物です。そのイメージしたいという欲求に答えるための “装飾” が求められていたのでは無いでしょうか? 身の周りの空間に、何か楽しい気持ち、豊かな気持ちにさせてくれるプラスアルファーを求めた結果、型板ガラスの装飾模様が受け入れられたのだと思います。
 この型板ガラスに限らず、多様なデザインの透かしブロックなど、昭和の時代は今より生活の中に装飾が自然な形で入り込んでいた時代です。それは昭和が “夢” というエネルギーの源を持っていた時代であったことと関係があるかも知れません。何故なら装飾を求める心は夢やあこがれを持つ心と相通じているように思えるからです。関西板硝子卸商協同組合がまとめた資料によると収集出来たものだけで100種類位のデザインがあります。そのデザインには旺盛な遊び心が見られ、夢の力の大きさをうかがい知る事が出来ます。
 バブル景気崩壊からすでに久しい昨今、厳しい経済状況が続いている今こそ、私達は落ち着いた目でものを見て、希望と “夢” を抱く事が必要なのではないでしょうか? 浮かれた時代では無いからこそ、質の高い “生活の中の美術=装飾” が求めらるのではないかと思います。


  “Art Editor” は季刊誌なので3ヶ月に1回発行されます。私は最初の秋号に書きました。今はもう冬号が発行されています。アートに関する情報や色んなお店の情報が載っていて面白いので興味のある方は大網白里町の商店街にある伊藤さんのお店 「アートエディタースペース」に置いてありますので持って行って下さい。無料です。
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by mosaiquedodeca | 2009-12-18 09:19 | アート・エディターの記事 | Comments(0)

印象に残ったある出来事

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 ちょっと古い話になりますが、11月の3連休に実家に帰って来ました。姪っ子の結婚式があったからです。結婚祝いに紅白の薔薇をモチーフにしたガラスモザイクの写真立てを送りました。(上の写真:これはガラスモザイク展に展示した時の写真)当日の朝早く新幹線で向かったのですが、式の30分前に駅に着き、殆ど走って式場に到着という慌ただしさでした。急いで受付を済ませたのでもう少しで見逃すところでしたが、受付にちゃんと飾ってありました。文字通り、式に “花を添える” ことが出来て良かったです。


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        制作途中の写真。仕上がりはこれに目地が入ります。


 式後少し時間に余裕を持って帰りの切符を買っていたので、実家で催された宴会にもちょっとだけ参加しました。その間僅か1時間位だったと思うのですが、その時に思わぬ昔の話が聞けました。

 私は若い頃フランスに留学し、パリの国立高等装飾美術学校(通称アールデコ)を卒業したのですが、その卒業論文の題名が「顔・二元的表現」というものでした。古今東西の色んな美術作品に於ける “顔” の表現について私なりに研究したことをまとめました。西洋の美術作品にも触れましたが、主に取り上げたのは、仏教彫刻、浮世絵そして能面の表情表現についてでした。それらの表情の分析に入る前に、人間の複雑な感情について述べるのに私が例に出したのが、姪のM(今回結婚した姪の従姉)の不可思議な微笑みについてでした。
 それは実家での出来事でした。Mは姉の娘で当時2歳位だったと思います。叔父である兄がMにいわゆる “高い!高い!” をしてあげました。Mはけらけら笑ってすごく楽しそうでした。兄がMを頭の上に持ち上げた何度めかの時に、何を思ったかMが鴨居を掴んだのです。鴨居は、引き戸や襖のレールの役目をしている梁に取り付けてある板で、壁との間に指が入るくらいの隙間があり、掴むことが出来るのです。小さい手で意外に強い力で掴んでいるらしく、兄が下に引こうとしても離しません。すると『お、凄いな。ぶら下がれるんじゃないか?』なんて言って、兄はそ〜っと手を離しました。見事、自力でMはぶら下がっています。その時のMの表情は今でもはっきりと思い浮かべることができる位印象に残りました。何とも言えない不思議な微笑みをしたのです。彼女はぶら下がったまま “ニタニタニタ〜” っと笑ったのです。その笑いは自分の力強さに喜んで笑っている笑いでは、勿論ありませんでした。かといって恐怖に引きつった笑いでもありませんでした。今まで見たことも無い不思議な微笑みだったのです。
 兄はMを褒めたたえた後すぐに下に降ろしてあげました。するとどうでしょう、Mは大急ぎで姉(母)の元へ走り、抱きついて大声で泣き出しました。その時になって初めて私と兄はMが凄く怖がっていた事に気が付きました。
 人は何も楽しかったり、嬉しかったりする時だけ笑うのではありません。プロボクサーが試合中にパンチを食らってわざとニャッとして相手に笑顔を見せるのは大概ピンチに感じている時です。笑顔は時として、精神的にピンチを迎えた時、自分を励ます為に使うことがあります。Mのニタニタは自分を励ます為と、叔父に対する “おべっか” をつかった笑いが混ざったものだったのです。多分 “高い!高い!” の時から内心怖かったのだと思います。それで、思わず鴨居を掴んでしまったものの、今度は自力でぶら下がらされる羽目になって、怖くて怖くてしょうがなかったのです。自分を褒めてくれている叔父の気持ちを醒めさせないように笑って見せなければならず(何しろこの状況では叔父に降ろして貰わなければならないので機嫌を損ねる訳にはいかないのです)、また、自分には余裕がある “ほらっ、こんなに笑っていられるのだから、大丈夫、大丈夫!” と自分を励ます笑い。子供ながらにとっても重い役割を担った微笑みだったのでした。
 こういった意味のことを論文に書いたのですが、そのことをチラッと口にしたら、兄はやっぱりこの時のことは特別はっきりと憶えているということでした。兄だけで無く、なんと、M本人もはっきりと憶えているのだそうです。私は、私だけがこの事件を憶えていて、当事者は日常の様々な事件、事象の中に埋没して憶えていないのだろうと勝手に思っていたのですが、どうやらそうでは無かったようです。特にMは2歳くらいだったので憶えていないだろうと思ったら、意外にもはっきり憶えているということでした。
 Mは今、丁度当時の自分位の歳の子供の母親です。そう云えばどうしてこの話題になったかと云うと、このMにそっくりな元気な娘を見ていて思い出して話した話でした。たまに田舎に帰るのも面白いですね。昔の事が甦って、違う意味合いを発見をする事があります。
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by mosaiquedodeca | 2009-12-04 11:09 | フランス留学時代 | Comments(0)