ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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<   2009年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

モルフォ蝶が出来ました

 以前紹介したガラスモザイク教室のYTさんのモルフォ蝶のモザイクが完成しました。前回は本物のモルフォ蝶の写真を載せましたが、何故本物があったかというと、実はYTさんの娘さんがペルーに旅行に行った時にYTさんにお土産に買って来た標本を見せてもらったからです。このモルフォ蝶の作品は、その娘さんのお誕生日が来るので、今度はYTさんから娘さんプレゼントするということで作ったものだそうです。
 本物のモルフォ蝶は色彩がもっと鮮やかではありましたが、完成したモザイクには、本物には無い素晴らしい表現が出来ています。これは純粋に絵画的表現と言えるもので、絵の具や石や色ガラスなどを使って、視覚の世界(3次元)を平面に置き換える作業をしないと出てこないものです。カメラでは決して出来ないものでもあります。人が、見えた(網膜に映った物を脳が感じて捉えた)ものを筆のタッチやガラスピース(その形と並べ方)によって置き換えたものでないと現れない“効果”がそこに浮かび上がっています。



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by mosaiquedodeca | 2009-01-23 08:51 | ガラスモザイク教室 | Comments(0)

犬が恐れる猫

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 プータはまん丸い顔ををしたとても可愛い猫でした。しかし可愛いといっても子猫のような愛らしい可愛らしさではなく、迷いの無い真っ直ぐな気持ちが顔に現れた可愛らしさでした。だから“猫まっしぐら”(自分の欲望に対して)といった感じのその表情は可愛いけれど厳しい表情でもあったのです。彼はとても気持の強い猫で、何があっても落ち着いていて動じる事がありませんでした。その上とても頭が良く、たとえ失敗しても直ぐに学習して二度と同じ失敗を繰り返すことは無かったです。家内は小さい頃から家の中に何匹も猫がいるという子供時代を送ったのですが、プータのように肝が据わっていて賢い猫は居なかったそうです。ですから、猫という感じがあんまりしなくて、私達は“プータ”という(ピューマとかミーアキャットとか、そういった)新種の動物を飼っているような気がしてしょうがありませんでした。
 プータが家に来たばっかりの頃はまだ少年だったので、近所の猫達のボスではありませんでした。しかし、それほど時間が経たない内に小学生から猫大将と呼ばれような大ボスに成り上がりました。
 或る夜、家の裏で猫の唸り声が聞こえるので懐中電灯を持って出てみると、プータともう一匹白い大きな猫が顔をつきあわせて唸りあっています。プータが地面にうずくまり顔を上に向けて見上げており、白猫が立ったまま見下ろして唸りあっています。面白いことに鼻先がくっ付きそうな距離なのです。数センチではありません。数ミリです。二匹とも微動だにせず、相手を睨んだままサイレンのような唸り声を張り合っています。
 私達には、プータの方が小さいし、見上げているから劣勢に見えました。その頃はプータが猫大将になるなんて知らなかったので、白猫にやられてしまってはいけないと思い、一生懸命プータに加勢してそいつを追い払いました。声を出してプータを応援したのです。白い猫は、人が出て来て騒いでいるので、慎重にゆっくり後ずさりをしながら退散して行きました。私達は去ってゆく白猫の方に向かって小石を投げたりなんかして(まるで子供みたい…)、もう来るなよ!と念じました。その白猫を見たのはこの時一回きりで、その後家の近くで見かける事はなくなりました。おそらくプータが何処かで再びバトルをして決着を付けたのでしょう。(私達が加勢したせいじゃ無いですよね?)
 この頃のプータは良く外に出掛けて行っては肩や頭に傷を付けて帰って来ました。あちこちで喧嘩をしている様子です。傷を負っているので随分心配しましたが、人に訊くと後ろ足やお尻に傷を負うので無く顔に傷を負うのは、喧嘩に負けているのでは無いので心配無いそうです。下半身の傷は逃げる時に負うからやばいけれど、頭や首のあたりの傷は相手に向かっていってる証拠なのだそうです。
 ある時こんな事がありました。まだプータを土間(モザイクのアトリエ)で飼っていた頃、フギャーという声がアトリエから聞こえました。尋常でない様子なので行ってみたら、窓の付近に毛の塊が落ちていて、ウンチが散らかっています。最初はプータが何処かの猫にやられてウンチしちゃったのかと思いました。「かわいそうなプータ。怖かったんだろうなあー……」しかし、良く見ると抜け落ちている猫の毛はプータの毛ではありません。どうやらアトリエに侵入して来た猫はプータに見付かってあわてて逃げたようです。逃げる時引っ掻かれて毛が抜けて、更に、あまりの恐ろしさにウンチまで漏らしてしまったらしいのです。よっぽど怖かったのでしょう。
 こんな事がいくつかあってプータの顔から幼さが消えた頃、もうモザイクハウスに近づく猫は一匹も居なくなりました。近所の猫の中ではプータに歯向かえる奴は居なくなったのです。猫どころか、犬でも気の弱い奴はプータを怖がっていました。一番驚いたのは、犬を散歩させているおばさんにプータを家の中に引っ込めてくれと言われたことです。家の前でプータがうずくまって日向ぼっこをしていた時に、2匹の柴犬を連れた彼女が、“犬が怯えてこっちの方に来れないからプータを退かして欲しい”と頼んできたのです。そんなに大きな犬ではないにせよ、プータよりははるかに大きくて、しかも二匹もいるのに、猫が恐くて通れないなんて、ウソかと思いました。仕方なくプータを抱いて家に引っ込みましたが、びっくりしてしまいました。
 そういえば、プータが近所の家の犬小屋に陣取って、犬の餌を食べているところを見た事があります。小屋の主である犬は所在なげに外からプータの食べる姿を眺めていました。その犬も柴犬くらいの大きさでした。犬でも猫を怖がる奴がいるんですね……でも、プータはちょっと特別かな。

 こんな風にバリバリのプータはきっと長生きは出来ないだろう、太く短い一生を送るだろうと思っていました。しかし案外長生きで、12年も生きました。これは猫としても長い方ではないでしょうか。
 プータのように長い生涯に渡って気持ちを強く持って生きるというのは、男として理想の生き方です。しかし、人生には色んな不幸や挫折があってなかなかそうはいきません。情けないとは思いますが、逆境の時に気丈に生きるというのはとても難しいです。時々プータのことを思い出しては、羨ましくなります。
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by mosaiquedodeca | 2009-01-11 00:59 | 猛描プータと愛犬クーコの話 | Comments(0)

牛のマキバオー

 昨日と一昨日こどもの国でガラスモザイク体験教室を開いてきました。両日とも天候に恵まれとても気持ちの良い日でした。風も適当に吹いてモノヅクリングビレッジの外では子供達が凧揚げをする姿が……のどかな正月の風景です。
 正月だけあって、普段はお母さんと子供という組み合わせが多いのですが、ご両親揃ってというばかりか、お爺ちゃんとお婆ちゃんも加わって一家総出のご家族も結構いらっしゃいました。小学校3年生の男の子が牛を作りたいと言って体験してくれましたが、このご家族も一家総出。ガラスのカットの仕方、サイドビッター(ガラスカット用のペンチ)の握り方、ガラスタイルの持ち方など細かく説明をする私に、目の前のお子さんより後ろにずらりと並んだお母さん、お父さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんがいちいち頷くという具合。私もつい顔を回してギャラリー全員に向かって口上を述べ、まるで実演販売でもしているような気分になりました。
 やれ「目が四角なのはおかしい、丸くしたら?」「それは角かい?角にみえないぞ」などと“あーだこーだ”と口を挟む大人をはね除け、「これでいいのっ!」と強行に進める頼もしい坊やが完成したのがこの作品です。

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by mosaiquedodeca | 2009-01-05 16:41 | 体験教室・こどもの国他 | Comments(2)
 新年明けましておめでとうございます。

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 今年は丑年です。牛に対する私の思い出と“想い”をお話します。
 
 ガラスモザイクの事を書こうとしてこのブログを始めたのですが、最近は我が家で飼っている犬と猫(飼っていた)の話も結構書いているので相当のペット好きだと思われているかも知れません。でも最初から犬や猫が好きだったのではありません。大体我が家の犬猫は自分から求めて飼い始めた訳では無いのです。ペットショップに捜しに行った事も無いし、知り合いに頼んで子犬や子猫をもらった訳でもありません。たまたま捨てられていた、もしくは押し掛けられたために飼い始めたものに情が移って虜になってしまっただけなのです。
 私が子供時代に経験した動物とのふれあいと言えば殆ど家畜の類いで、愛玩動物ではありません。子供の頃に実家に居た動物は、鶏卵用の鶏が何百羽と豚と牛です。この中で鶏と豚に情が移ることはありませんでした。鶏は、餌をあげるのが私の役割になっていて、毎日夕方になるとづらーッと並んでいるケージの前に取り付けられた雨樋のような入れ物にバケツに入れた配合飼料を手シャベルで配っていました。そういう状態で、ペットに対するような愛情を持つ事はありませんでした。豚のことはあまりよく憶えていませんが、なんだかコミュニケーションをとるような感じでは無かったように思います。唯一、牛だけはとても可愛いと思い、愛着を感じました。

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by mosaiquedodeca | 2009-01-01 00:00 | Comments(2)