ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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カテゴリ:アート・エディターの記事( 3 )

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 外房のアート情報誌「アート・エディター」にまた記事を書きました。今回は耕木杜の阿保さんの作った椅子について書きました。このブログでは今年の2月に市原市で行われた創翔工芸展の後に同じ内容のの事を書きましたが、それを少し練り直したものです。

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 阿保さんの大工の技術が超一流なのは誰でも知っていることですが、私がそれ以上に “凄いなあ” と思う所は、彼の美に対する感覚が鋭いことです。一見どこかにありそうな感じの椅子やテーブル、棚なので関心の無い人なら見逃しそうですが、よく見てみると実にバランスが良く美しい形をしています。そして “どこかで見たこと、あるかなあ…” と思い起こしてみるとどこにも無いことに気が付きます。
 先日、刷り上がったアート・エディターを持って仕事場を訪れたら、楢の板に鉋掛けをしていました。何を作っているのか尋ねたら、「棚を作っているんだけど、出来ているのがあるから見る?」といわれてキッチンに設置してあるのを見せて貰いました。これがまた素晴らしい棚で、機能上の工夫とそれをうまくデザイン化してあるのが面白く、見た目が美しいと同時になんだかカワイイのです。これについてはまたいずれご紹介したいと思いますが、今回は椅子について記事を書きましたのでそれを抜き出してご紹介します。


「生活用具の美
             —阿保さんの椅子と絵画の空間—」

 「このエッジが大事なんだよね」、その一言で私の頭の中に立ちこめていた霧が晴れて見はらしが良くなっていく気がしました。セリフの主は阿保昭則さん。日本一の鉋削りの腕を持つ大工さんです。その彼が自分で作った椅子の背もたれの部分についての一言です。この椅子は一見、機能上の工夫以外には、これと言った “意匠”のようなものは、無いように見えます。ややもすればデザインをしていないというように思われがちですが、実はそうではありません。シンプルな形ですがとてもバランスが良く出来ていて、その飾り気の無い清楚な佇まいから感ずる静寂感こそがが美しい“デザイン”の証しなのです。

 生活用具などのデザインは、実際に物を作る人がするのが良いと、私は思っています。直接手に触れる日用品を見る目を養うのは、素材を五感で感ずる“経験”だと思うからです。デザイナーがデザインした量産品の中にも優れた物は沢山ありますが、手作りのそれとは違う良さだと思います。物作りの長い経験と確かな技術、そして継続する“美に向かう心”が揃って初めて美しいデザインは生み出されるのではないでしょうか。真っ直ぐな物が真っ直ぐに見える為には真っ直ぐに作ってはいけなかったり、手作りでしか出来ない微妙な調整が、案外とデザインの「要」であることが多いのです。

 椅子やテーブルは毎日使うものなので、手触り、重さ、堅さ、弾力、温度そして強度などの全てが、外から見た時にイメージされてしまいます。意識していなくても、一目見た瞬間にそれら全てを感じ取って、そのデザインが好きとか嫌いとか、心地よいとか悪いとか、人の脳は判断しています。物の形は外観上のものでしかありませんが、心理的に大きな影響力を持っています。陶器の茶碗やお皿でも、木工家具でも角の部分のエッジの利き方一つでその作品の印象が一変します。どの程度カドを立てるのか、あるいは丸めるのかで、重くも軽くも、頑丈にも脆くにも、柔らかにも硬くにも見えます。扱い方も豪快に出来たり、そっとやさしく気を使わなければならなかったりと、(実際の強度とは別に)左右されます。その選択が作者の作品に込めるメッセージであり、デザインの重要な要素なのです。

 阿保さんの一言で、彼のデザインの意図 (※) が理解できた気がしました。硬い楢の木が、カンナによって細胞がつぶされずに平らに削られています。椅子を後ろに引くときに手の平にぴたりと吸い付くような感触、適度な鋭さのカドが指の腹に食い込むちょっとした“痛み”は結構心地良いのです。またそれは、椅子を乱暴に扱って床などを傷つけたりするのを防ぐ役割を果たしていたりします。そして何より、私はエッジの立った背もたれの角の鋭い輪郭が周囲の空間に及ぼす緊張感がとても美しいと感じました。それは「絵画」の空間にも共通する要素で、頭の中の霧が晴れる思いがしたのはそのことに思いが巡ったからです。
※ 阿保さんのデザインに関する考え方は「耕木杜」のホームページの月刊コラムNO3に詳しく述べられています。

 “描かれた物の輪郭” の扱い方で絵画の空間表現は決まります。光と陰をドラマチックに演出する作品も、平面的な色面構成で色彩の調和を求める作品も、おしなべてその輪郭の扱いで絵画の美しさは決まると言っても過言ではありません。絵画空間は、線遠近法や陰影法などより、物の輪郭のどの部分をシャープにしてどの部分をなじませるかによって、より鮮明に生み出されるからです。色彩も、そう云う輪郭の緩急によって生み出される、統一された絵画空間の中にあって初めて響きあいます。つまり、エッジの利かせ方によって美しい “絵画空間”は生み出されるのです。(それについてはまたいつか機会があったら述べたいと思います)阿保さんの言葉は、家具と絵画という一見まったく繋がりが無いように見えるモノでも、美を生みだす構造には共通点があるということに気付かせてくれました。

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        明暗の諧調が美しくそのまま “絵”になっています

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四角い支柱のカドは取ってありますが背もたれの曲がり角はエッジが立っています

 最後に絵の空間に付いて書きましたが、私は何でも自分の専門である絵に結びつけて考える習性があります。陶芸についても、最初は自分にはとても理解出来ない世界だと思っていました。ところがある人の作品を貰って、気に入ってしまってから見方が変わりました。決して難しい世界ではなく、絵の見方と同じで良い事に気が付いたのです。造形の美にはジャンルを超えた共通項があるようです。いつかそれについて書いてみたいと思いますが(その陶芸作家のことも)、文章にする事は難しそうです。うまくまとめる事が出来れば “造形とは何か?” ということに少しは迫れるのじゃないかと思うのですが・・・。
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by mosaiquedodeca | 2010-12-20 19:28 | アート・エディターの記事 | Comments(0)
外房のアート情報誌「Art Editor」に、また、記事を書きました。日本のマンガ文化の一部について、絵描きの視点から書きました。マンガと言えばドラマや映画化されることが多いように、そのストーリー性が最近は注目されています。しかし、私は自分の専門分野である絵画表現について書きました。ピカソと谷岡ヤスジの共通点について少し強引な説を述べましたが、共感を憶えて下さいますでしょうか?


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以下が掲載文です。
(先程アップした記事文は作成途中の原稿を間違えて入力したものでした。最終的な掲載文に差し替えました。)

大衆の美術
—日本のマンガに見る絵画表現—

江戸時代の浮世絵は狩野派のような宮廷の絵画に比べて低俗なものと看做されていました。次世代に残さなければならないような価値のあるものとは思われていなかったようです。それは、輸出用の陶磁器の包装に使われて海外に流出してしまったなどというエピソードがあることからも伺えます。
いつの時代にも、大衆に好まれ人気を博すものの、直ぐに消費され消えて行くものがあります。それらはしばしば、世相を反映して世俗的な興味を惹く内容だったり、人々の欲求にストレートに答えるような表現だったりします。言い換えれば、高い知識や教養を持ち合わせていなければ充分に堪能出来ないようなものでは無く、誰にでも即座に理解出来て楽しめるものです。

昭和の時代から現在まで、日本では “マンガ本” が大量に発行され消費され続けています。マンガのことをフランス語で “bande dessinee” と言います。これは《帯状の絵=デッサン》という意味です。この言い方は、たとえばスーパーマンやスパイダーマンなどの本を見ると分かる気がします。これらの絵には、美術を専門に勉強した人でなければ描けないような高度なデッサン力が窺えます。美術解剖学的に見ても、骨格の構造や筋肉の繋がり方などが適確に表現されており、優れた “デッサン” の連続で出来ています。そこには古代ギリシャ時代から連綿と繋がる西洋美術の伝統が息づいているのです。本の装丁も割合立派なもので、何度も読み返してはあるいは絵を見直しては楽しむという感じで、まるで絵本のような扱いです。しかし一方、日本のように毎週毎月それぞれ何百万部も出版されるマンガ誌がいくつもある状況は、欧米ではあり得ません。しかもそれが何十年も続いているのです。沢山の人に親しまれ、短時間に消費される。そしてあまり高級な娯楽とは思われていない。こういった状況を踏まえて、“マンガ” がすなわち現代の浮世絵か? と言うと、あまりにも社会状況や時代精神が違うので何とも言えません。しかし、この圧倒的な量の中には何かしら拾い上げて然るべきものが含まれているのではないかと私は考えます。マンガに親しむ膨大な数の日本人が何十年にも渡って大きな市場を支え続けているのに、そこに見るべきものが何も無いとは思えないからです。

私が面白いと思っているものの一つは、いわゆるギャグマンガの分野の絵です。赤塚不二夫さんのニャロメや谷岡ヤスジさんのマンガに出て来る「アサーッ!」と叫ぶ鳥などは、ハチャメチャですがとても興味深い表現だと思います。顔の輪郭や歯や目などの配置、大きさを無視して、生体としての辻褄合わせより感情の表出をストレートに表現しています。それは生物としてのリアリティーに満ちており、まるで《20世紀初頭に周りから気が狂ったのでは無いかと思われながらも新しい表現方法 “キュービズム” を産み出した》ピカソの絵のようです。テーマは違えど、ピカソの「泣く女」と谷岡ヤスジの “ムジ鳥” はどこか似ています。私は同じくらいに傑作だと思っているのですがどうでしょうか。日本の漫画家の中には、ギリシャ美術の伝統を受け継ぐ代りに20世紀の美術からインスピレーションを受けた人がいるのかも知れません。それはともかく、“マンガ” は現代の日本文化の興味深い一面を表していることは確かだと思います。


以上

今回残念だった事は載せたかった画像が一切載せられなかったことです。印刷物なので、載せるには版権を持っている方の許可が必要でした。どの画像についても、うまく連絡が取れませんでした。
以下の画像と注釈文が付く予定だったのですが、載せられませんでした。

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      スーパーマンと少年の表現には確かなデッサン力が感じられる

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     赤塚不二夫 “ニャロメ”       谷岡ヤスジ “ムジ鳥”
     無茶苦茶な表現なのに何故か生き物としてリアリティーを感ずる


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           ピカソ “泣く女”

「オグロさんのデッサン無い? それを載せるから」と編集者の伊藤さんから電話があり、急遽自分のデッサンを挿絵のような形で載せる事になりました。本文との関連性がイマイチですが、少しでもデッサン教室の宣伝になれば、という伊藤さんの暖かい配慮でした。
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by mosaiquedodeca | 2010-03-21 11:47 | アート・エディターの記事 | Comments(0)

外房の情報誌:Art Editor

 私の住んでいる茂原市は千葉県の房総半島の太平洋側にあります。この地方は外房と呼ばれています。この外房の文化を真剣に考えて活動している人がいます。伊藤純子さんというのですが、彼女は以前土気(とけ)という町でギャラリーを開いていました。今年の夏頃に彼女から連絡があり、少し協力して欲しいことがあると言うのです。会って話を聞いてみると、大網白里町(山武郡)の商店街の中にお店を開き、そこを拠点とし、茂原市、いすみ市、東金市、山武市まで活動範囲を広げて、文化情報誌を発行したいということでした。以前 “Art Editor” という名称で情報誌を発行していたのですが範囲がそんなに広くなく、土気・あすみが丘が中心でした。今回、その “Art Editor” を、一宮・いすみエリア、山武・長生エリアを加えて3つの地域で1部づつ発行したいということでした。1度に3部づつ出すことになりますが、その為には巻頭の記事が毎回3つ必要になります。彼女一人ではとても埋め切れないので私にも記事を書いて欲しいと依頼されました。私は美術、文化に関しては言いたい事はいっぱいあるのですが、きちんとした文章にすることは慣れていないので心配でした。しかし、誰か知り合いでいい仕事をしている作家のインタビュー記事でも、自分の美術・文化に関する考えをまとめたものでも何でも良いということなので、やってみました。
 いろいろ考えた末、「生活の中の美術」という題名で昭和の型板ガラスについて書きました。型板ガラスとは、透明ガラスにレリーフで色んな模様を付けた昭和30年代頃から盛んに作られ、住宅に使用された、私くらいの年齢の人にはとても懐かしいガラスです。それを引合いに、生活美術に関して思っていることを書きました。短い文章でも結構大変でしたが、自分の考えをまとめる良い機会になりました。

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私の書いた記事はArt Room というページに載りました。

 その記事の全文を以下に記します。

「生活の中の美術」
—昭和の型板ガラスに見る装飾のこころー

 昭和の型板ガラスというのをご存知でしょうか?ご年配の方ならおそらく誰でも知っておられる筈の物です。そう云う呼び名があるという事を知らないだけで、目にすれば皆さん「懐かしい」とおっしゃると思います。昭和30年から50年頃にかけて盛んに作られた、窓や引き戸あるいは戸棚などに使われた《立体レリーフ》装飾ガラスのことです。ガラスにザラメやギザギザ、幾何学模様、植物模様などの凹凸が付いていて、いわゆる、光は通すが視線は遮るという役目を持った装飾ガラスです。
 日本人の暮らし振りは、昭和の時代に大きく変化しました。経済成長と共に次々と生まれて来たのは電化製品だけではありません。日本の住宅も大きく変わり、新しい建材、建具、家具、設備がどんどん作られ、実に様々なものが姿を現し、そして消えて行きました。土やしっくいだった家の壁は、キラキラ反射するカラフルな繊維を練り込んだ塗り壁の時代を経て、化粧合板、ビニールクロスへと変わりました。台所の様子も、三和土の土間から板の間、そしてフローリングの床になり、 “かまど” はコンクリート・タイル貼りになったかと思うと、ガスレンジに取って代わられ、更にシステムキッチンへと ーご飯炊きが薪からガスそして電熱に変わると共にー 姿を変えました。
 そんな中、いっとき時代を席巻し、いつの間にか消えてしまったものがこの「昭和の型板ガラス」です。この型板ガラスには色んな模様の物がありました。私の実家の縁側と茶の間の間にあった引き戸は、下が板で、上が障子、真ん中がガラスの戸でしたが、ここに使われていたのは笹の葉をモチーフにした型板ガラスでした。10センチ位の細長い笹の葉がバランス良く散りばめられておりました。周りはザラメになっていましたが、その部分だけが平べったく透明になっていて向こうの景色によって、ある葉っぱは白く、ある葉っぱは暗く見えて、自分が動くとそれらの位置が変わりました。今思うと、そのようにチラチラと変化する笹の模様を子供心にも結構楽しんでいたように思います。
 目隠しの機能だけで良いのなら、唯の曇りガラスで良い筈ですが、そこに何故様々な模様を入れて行ったのでしょうか? 板ガラスメーカーは競って色々なデザインを作り次々に発売して行きましたが、それを庶民が生活空間の中に喜んで取り入れたのは何故なのでしょうか? それは、私達の身を包み込んでいる住宅に、物理的な機能だけでなく精神の何らかの要求に答えるものが求められたからでは無いかと思います。壁のシミや柱の木目などを見れば、そこに田園風景を連想してみたり、節目の並び方に誰かの顔の面影を追ってしまう私達人間は:豊かなイマジネーションの海に生きる動物です。そのイメージしたいという欲求に答えるための “装飾” が求められていたのでは無いでしょうか? 身の周りの空間に、何か楽しい気持ち、豊かな気持ちにさせてくれるプラスアルファーを求めた結果、型板ガラスの装飾模様が受け入れられたのだと思います。
 この型板ガラスに限らず、多様なデザインの透かしブロックなど、昭和の時代は今より生活の中に装飾が自然な形で入り込んでいた時代です。それは昭和が “夢” というエネルギーの源を持っていた時代であったことと関係があるかも知れません。何故なら装飾を求める心は夢やあこがれを持つ心と相通じているように思えるからです。関西板硝子卸商協同組合がまとめた資料によると収集出来たものだけで100種類位のデザインがあります。そのデザインには旺盛な遊び心が見られ、夢の力の大きさをうかがい知る事が出来ます。
 バブル景気崩壊からすでに久しい昨今、厳しい経済状況が続いている今こそ、私達は落ち着いた目でものを見て、希望と “夢” を抱く事が必要なのではないでしょうか? 浮かれた時代では無いからこそ、質の高い “生活の中の美術=装飾” が求めらるのではないかと思います。


  “Art Editor” は季刊誌なので3ヶ月に1回発行されます。私は最初の秋号に書きました。今はもう冬号が発行されています。アートに関する情報や色んなお店の情報が載っていて面白いので興味のある方は大網白里町の商店街にある伊藤さんのお店 「アートエディタースペース」に置いてありますので持って行って下さい。無料です。
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by mosaiquedodeca | 2009-12-18 09:19 | アート・エディターの記事 | Comments(0)