ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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ワインを使った料理

 先日スーパーで割引の赤ワインを買いました。処分品のみを並べた小さな展示台に乗っていたワインです。一見して私が買うにしては高そうなワイン。厚みのある深い色の、どっしりと重い瓶に入ったボルドー産のワイン。底に指を当ててみると、窪みが深い。これはいいワインに違いない!そう思って何故安売りなのか深く考えずに買いました。そして家に帰って夕食に開けたのです・・・が。 今になってみれば当然だと思うのですが、これが不味い。我慢して2〜3口飲んだけれど、やっぱり駄目。保存状態が悪かったらしく、腐っているとまでは言えないけれど、とても美味しくは飲めない。唯、ポリフェノールたっぷりの濃い色のワインでした。 以前同じような失敗をしているにも関わらず、またやっちゃったと思いました。10年前くらい(※1)と20年くらい前にも同じような事がありました。最も酷かったのは20年くらい前の件です。画家仲間での貧乏(スケッチ)旅行中。コンビニが今のように田舎町の津々浦々まで普及する前の、いわば田舎のコンビニエンスストアーといった感じの、お酒以外でも何でも売っているような酒屋で、年期の入っていそうな赤ワインを買いました。安宿で皆と開けてみたら、赤ではなくて茶色。そうです、赤ワインなのに茶色くなっているのです。しかし、過去に茶色いワインを飲んだ記憶がよみがえりました。フランスに居た時、友人の家で自分の生まれた年くらいに作られたワインを振る舞われたことがありました。25年以上前のワイン。みんなでグラス一杯ずつ飲みました。それはその時まで、そしてその後も飲んだ事が無い位味わいのある、美味しいワインでした。その色が少し茶色っぽかったのです。そのことを思い出し、もしかしたら美味いかも・・という淡い期待は、勿論!大はずれでした。美味いどころか腐っていたのです。銀座辺りのワイン専門店で買ったのならいざ知らず、茶色いワインがまともな筈がないですね。口をつけてしまったけれどお腹を壊さないか心配になる程ひどい味でした。 さて、腐ってはいないけれどおそらく適正温度では保管されていなかった赤ワイン。どうしたものか・・流してしまおうかとも思いましたが、あるアイデアが浮かびました。不味いが濃いワインの味から、南フランスのホテルで食べたある料理の事が思い出されました。 “Coq au vin“ (コック.オーヴァン:鶏肉を赤ワインで煮込んだ料理)を作ったらどうか? ワインとして飲むなら不味いが、煮込んだら美味しそうだと思ったのです。 ネットで作り方を調べたら出ていました。翌々日プリントアウトしたレシピを片手に段取りを確かめながら作りました。大成功でした。やはり濃い赤ワインがこの料理にはぴったりでした。ブルゴーニュのワイン(※2)だったらこんなに美味しくはならなかっただろうと思います。ホテルで食べたそれの味は随分前なのでおぼろげです。しっかりと覚えてないという事はそれほど美味く無かったのかも知れません。多分今回自分で作ったのの方が美味しいと思います、家内は随分感激してくれましたから。最も、家内は僕が作る料理はたいてい何でも褒めてくれますが・・・何故かと言うと自分が作らなくて良いから、楽ですもんね 皆さんも間違って、逝っちゃったワインを買ってしまったら是非作ってみて下さい。捨てずに済みますし、多分美味しい料理が出来ます(腕次第)。今度は「豚肉か牛肉でやってみてよ」と家内。牛肉の赤ワイン煮込み料理は存在しますから美味しいに決まっていますが、豚肉はどうだろう? 機会があったらやってみようと思います。

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  後日作った豚肉の、Coq au vin (否 Porc au vin) この時は煮込み時間が足りず、いまいちでした

※1
10年程前の1件は、近所のコンビニで買ったワインがやはり駄目になっていました(おそらく長い間売れずに展示棚に置かれていて暖められた)。これは返品しに行き、店主も応じてくれました。

※2
私の意に反して、なんと “Coq au vin“ の発祥はブルゴーニュだそうです。私はボルドーか、スペインやイタリアの濃いワインの方が絶対美味しいと思うのですが・・・。そもそも自分はブルゴーニュのワインはあんまり好きではありません(安物しか飲まないからでしょうが)。ボジョレーヌーヴォーなんて高い割にそれほど美味しいと思ったことがありません。いったい何をあんなに有り難がっているのか、気が知れません。しかもわざわざ空輸して世界中で同じ日に一斉に栓を開けるなんて・・・と、自説を主張するあまり、毒づいてしまいました。

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by mosaiquedodeca | 2017-07-01 14:16 | Comments(0)

牛筋と大根ラーメン

 チェーン店の食べ物屋というのは美味しい所も、不味い所もありますが、何処に行っても同じ様な味で、文字通り“味気”がありません。この間、某ラーメン店(チェーン店)に行ったら恐ろしく不味いラーメンを食わされて参ってしまいました。腹が減っていたのでなんとか麺だけ食べて早々にお金を払って出て来ましたが、ストレスが溜りました。一食損した感覚がずっと頭の中に残ってしまって、幾日かしたところで無性に外食のラーメンを食べに行きたくなってしまいました。大袈裟に言うとリベンジしたくなったのです。今度は思いっきり美味しいラーメンを食べて吹っ切りたいと思ったのでした。

 そこで今回はチェーン店ではない、以前から気になっているのだけれど、一度も入った事の無い中華料理店に行こうということになりました。そのお店は昔ならどこにでもあったような個人店ですが、今となっては結構見つけるのがむずかしくなっています。夕方の、人気店なら混んでいてもおかしく無い時間帯でしたが、駐車場に車を止めて中を覗き込んだら・・・お客さんが居ません。“おやおや、返り討ちに合うかも知れないぞ、こりゃあ”と不安いっぱいになりましたが、思い切って扉を押しました。中に入ると何だか煙たくて風邪気味の私はちょっとキツかったです。換気が悪いのですね。それでも我慢をしていたらなんとか慣れてきました。小さなテーブルが2、3個。部屋の片側は靴を脱いで上がる畳の間になっていて、やはり座卓が2つ。とても小さなお店なのです。厨房と対面するカウンター(物が置いてあってここでは食べられない)の上、壁の殆ど全面に手書きのメニューが貼付けてありました。“何を食べようかな?”とそれらのメニューを見渡したら、何だか変な事が書かれています。「レバニラ炒め麺」「牛筋と大根入りラーメン」。なんだこりゃ!。 やたらニコニコして愛想の良い、楽しそうに話すおばさんに「変わったものがあるね、この店は。牛筋と大根ラーメンって何?」と言うと、それは冬場限定のメニューなんだそうです。面白いのでそれを頼む事にしました。家内と2人だったので一杯づつ頼んでもし不味かったらどうしようと迷っていたら、おばちゃんが「違うものを頼んで半分づつ食べたら」と提案してくれました。そこで「焼きそば」と「牛筋・・・」を注文しました。昭和にタイムスリップした様な懐かしい空間のお店の中で、ラーメンが出来上がるのを待っていると、何だか楽しくなってきました。“たとえ不味くても、まあいいや。それはそれで面白い。今時まだこんな店があるだけで楽しい”と思えてきたのです。

 しばらくして頼んだものが出て来ました。スープが染み込んで茶色に透き通った大根。とろとろに煮込んで、バラバラになりそうな牛筋。スープを口に含んでみたら・・・、“うっ、うまい!!”。すごくうまい!。体中が幸せでいっぱいになりました。麺を食べ、すぐに歯で噛み切れる牛筋を齧る。大根にかぶりつく。また麺を食べる。ラーメンで無くとも、普通の牛筋大根として食べてもむちゃくちゃうまい!。半ば強引におばちゃんに勧められた、半ライスと一緒に食べたら更に美味しさが増しました。一方の焼きそば。とろとろの餡かけが掛けられた立派なボリューム。適当に焦げて硬くなった麺の歯ごたえとダシの効いた餡が一体となってなんとも懐かしい美味さがありました。大満足です。

 気が付くと、前の不味かったお店の事はすっかり吹き飛んでいました。見事リベンジが叶ったという訳です。後日リピートして、今度は「牛筋・・」をそれぞれ一杯づつ食べましたが、この時も我々の他にはお客さんが一人しかませんでした。もしかしたら、昼時にはお客さんがいっぱいなのかも知れないと思いますが、なんだか心配になります。折角見つけたお店なので、いつまでも営業してくれるように願わずにはおられません。潰れないでくれよ〜・・・。

PS:「牛筋と大根ラーメン」なんてものはこのお店のご主人の創作なんじゃないかと思いましたが、念のためネットで調べてみました。そしたら目黒に「牛筋大根ラーメン」というのを出すお店があるということが分かりました。そことどういう関係が有るのか?あるいは無いのか?は分かりませんが、どういう訳かここのは「牛筋」と「大根」の間に「の」が入っています。端折って言わない所に何だか好感が持てました。
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by mosaiquedodeca | 2013-03-14 15:42 | Comments(0)

青島食堂

 高校の帰り道によく寄ったラーメン屋がありました。うなぎの寝床の様な小さい店。店主の親父がたった独りでやっていました。メニューはラーメン一品だけ。お店に入ると一応「ラーメン2つ」とか注文するのですが、親父は聞いていません。入った人の頭数を数えて作り始めるのです。「あとからもう1人くるから」などと言っても決してその分を余計に作ったりすることはしません。それは徹底していました。ただ、良くある様な頑固親父のこだわり(作り立てしか決して食わせない・・)などでは無く、単に口頭での注文を憶えられないようなのでした。面倒くさいから顔を見ない人の分は決して作らないということだったようです。

 カウンターの向こうでラーメンを作っている親父の姿が見えるのですが、いつもタバコをくわえたままで動き回っていました。その灰がタバコの先に1センチくらいくっ付いたままで、お客はいつも “どんぶりのスープの中に落ちるのではないか” とハラハラして見ているのでした。カウンター越しに丼を配る時も、両手に持つ為か親指がスープに浸かったまま・・なんて感じでした。

 こんなお店にも拘らず、いつも繁盛していました。当時、ラーメンは何処のお店でも120円くらいでしたが、ここは80円。しかし、繁盛の理由は勿論値段のせいではありません。すごく美味しかったのです。醤油のスープ(※1)も美味しいのですが、乗っているチャーシューが抜群に旨いのです。醤油で長時間煮込んで余分な脂が抜けた、ポロポロした食感。高校の頃から40年以上経っていますが、他の店でこれと同じ様なチャーシューを出すお店には行き会ったことがありません。ジューシーでクニクニと歯ごたえのあるいわゆる “お肉だなあ” というもの、あるいは脂身がとろとろになって蕩ける様な、柔らかいチャーシューはあります。しかし、ここのようなサクサクになるまで柔らかく煮込んでありながら、形がしっかりして、余分な脂の無い物は一度も見た事がありません。

 高校生だったのでいつでも外食が出来る程お金を持っている訳ではありません。たまにしか行けませんでしたが、出来れば毎日でも食べたい味でした。朝ご飯を食べて出掛け、2時間目と3時間目の間にお弁当を食べ(早弁)、お昼はパンを買って齧る。そんな日でも帰り道にこのラーメンを食べた記憶があります。食べ盛りでしたので、家では何食わぬ顔をして普通に夕飯を食べていましたが・・。

 この親父は変な人で、高校生の僕らにノートを見せびらかしたりしました。なんでも英語の勉強を熱心にしているとのことで、そのノートには英単語がビッシリ書かれていました。同じ単語が1ベージに繰り返し繰り返し、隙間無く書かれていました。それが何ページもあるのです。私の母の小学校のクラスメイトだった人で、母の弁によれば、 “戦争で中国に行ってあまりに沢山戦友の死を見て、精神的におかしくなって帰ってきた” のだそうです。親父は亡くなったと聞きましたが、ラーメン屋は後を継いだ人がいて、地元では何軒か、チェーンのお店があります。今でも大変繁盛しています。私は帰る度に一度は必ず食べに行きます。あんまり昔と変わらない味で、やっぱり美味しいです。私にとっては、数多あるラーメンのお店の中でダントツの一位のラーメンです。40代前半くらいまでは(後半からはラーメンより蕎麦が好きになりました)、ラーメンが好きで、自分の中で美味しいラーメンのランキングを付けたりしていましたが、その中でもやはり他を圧倒して一位でした。1に青島、2、3、4が無くて、5にナントカ・・てな具合でした。そうです「青島(※2)」というラーメン屋です。

 この間ひょんなことからネットに出ている事を知りました。家内と2人で昔高円寺にあった「ニャンキーズ」というカレー屋の話をしていた時に、“今でもあるのかなあ” と検索したら出て来たので、「青島」ももしかしたらと思って調べたら、「青島食堂」という項目でちゃんと出ていました。なにやら秋葉原に支店があるとのこと。東京に展覧会でも見に行った折りに探してみようと思います。


※1ところでネットで調べると知らなかった事が書いてあって、なるほどと思う所があります。スープの味が生姜ベースだったって事など知りませんでした。リピートしたくなる理由が咽に残るある種の感覚だった(生姜の辛さだったのですね)ということを思い出しました。それから、私の「ラーメン」のイメージには必ず海苔とシャキッと茹でたほうれん草があるのは青島食堂のせいだったことも(これが無いとなんとなく物足りない)。食べログなどに書かれてあることを読むと、自分の中では何気なくやり過ごしていたことに改めて気が付かされます。

※2「青島食堂」という名前の由来ははっきりとは分かりませんが、親父の出身が青島という地名だから。あるいは、中国に居た時に本場のラーメンの技術(チャーシューの作り方)を学んで帰って来た等という言い伝えがあって、そこがチンタオ(青島)だったからとか・・・(真偽の程は分かりません)。
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by mosaiquedodeca | 2012-09-24 14:33 | Comments(0)
 真夜中に目が覚めると耳の奥から静かな歌が聴こえて来る。「だ・れ・か・に〜あいたくて〜・・・」気が付くと左耳に差し込んだイヤホーンから聴こえている。ここのところ毎日この歌の途中で目が醒めます。歌は平原綾香の「あいたくて」という曲。NHKラジオ深夜便の歌です。正確な歌詞は分からない、うる覚えだけれど、—・・・誰かに会いたい気がする、それで生まれて来たような気がするけれど、それが誰なのか分からない。お使いの途中、迷子になった子どもみたいに、手の中に見えない“言付け”を握りしめて。それを誰かに渡さなければいけない気がする・・・—というような内容の、ちょっと不思議な歌詞です。聴いていると、少し胸がざわついて、なんだかジーンとくるのです。ゴーギャンの絵に「私は何処から来て、私は誰で、私は何処に行くのか?」というタイトルの絵があります。このタイトルのように、「存在の根源的な問い」を歌っているような・・というとちょっと大袈裟だけれど、何か切ない感情が湧いて来るのです。
 最初は少年時代、小学校4年生くらいの時でした。宇宙について思いを巡らせ、無限という状態を考えていたら、急に不安が湧いて来て怖くなりました。それから度々襲われた、えも言われぬ、寂寥感を伴った恐怖。後から考えると、それは「存在」そのものに対しての不安だったような気がするのですが、そう云った過去の(若い頃の)感情を、夜の暗闇の中で少し呼び覚まされるのです。今となっては別に怖くはないのですが、胸をくすぐられ、つい歌に惹き込まれてしまいます。一度聴いただけで好きになりました。とてもスローでシンプルな短い曲。早速アマゾンでCDを注文、3月早々に届くそうです。楽しみです。そういえば宇多田ヒカルの歌で一番好きなのも、シンプルでスローテンポな曲、ちょっとユーモラスな「僕はクマ」という歌です。この歳になると激しい曲より、ゆったりとした牧歌的な音楽の方が好きになるのでしょうかね。でも、思い起こせば、若い頃にも浅川マキ(※)が好きだったりしてました。ただ浅川マキは ”ゆったり” というより、 ”けだるい” ですが。

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星をモチーフにしたパターン模様のガラスモザイク=星を眺めて「存在の根源的な問い」に・・・なんてね

 “手の中に見えない“言付け”を握りしめて、それを誰かに伝えなければ・・“ という(正確な言い回しは憶えられなかった)歌詞に共感を覚えました。私は「人は誰しも、神から “命題(テーマ)” を持たされて生まれてくる」という風に考えています。それはその人にしか与えられていないテーマで、それを掘り起こし、何らかの形で目に見えるようにする。つまり表現する事によって、他人に伝え、共感を得る。人はそれを共感を得られる形にする事に依って自己の存在証明をするのではないだろうか? と考えています。何故なら個々の人間は必ず死に行く訳で、「共感」という形でしか自分の存在(命)の証しを得られないからです。その人が明らかにし、詳らかにして他人に理解し得るものにした事柄、つまり表現したテーマは、その人がやらなければ誰にも出来ないテーマであって、神からその人だけに与えられた、たった一つしか無い “命題” なのだと思っています。私はそのことに自覚的な人間だと思っていますが、たとえ自覚していなくても、無意識の内にも人はそのようにして生きているのではないだろうか?と考えているのですが・・・。生まれた時に掌の中に握らされている、”それ” を誰かに渡さなければ(つまり伝える、表現する)・・と感じているけれど、その誰かが見付からない・・・。モノを表現することはとても難しい。それ以前に表現すべき自分のテーマに辿り着くことも容易では無い。この歌はその焦燥感を歌っているのではないかと思いました。だから、表現する人は、自分に与えられたテーマについて繰り返し手を変え品を変え、つまりモチーフを変えて色々な角度から迫ろうとするのだと思います。沢山のいろいろな作品を作っても、結局言いたいことはたった一つ。メッセージは一つ、表現は多様。真夜中の、半分夢うつつの状態で聞き取った歌詞からこのようなことを感じました。良かったら聴いてみて下さい。

※ 若い頃、浅川マキのカセットテープを持っていて文字通り擦り切れるまで聴きました。カセットテープは何百回も聴くとマグネットがとれて音が擦れてきます。「かもめ」「夜が明けたら」などが代表的な歌だと思いますが、私は「少年」や「セントジェームズ病院」等が好きです。「赤い橋」なんて怖い歌もありましたね。
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by mosaiquedodeca | 2012-02-16 16:22 | Comments(0)

中学生のハローワーク

 村上龍の「13歳のハローワーク」という本の話は聞いたことがあります。読んでいないので詳しいことは分かりませんが、いろんな職業についてのガイドブックのようなものらしいということは知っていました。この本はけっこう反響を呼んだようで、今や中学校でそういう授業が設定されています。それを何で知ったかというと・・・実は・・仰天!なんですが、なんと私がその相談員というのをやったからです。知り合いの中学校の美術の先生に頼まれました。しかし、“何でこの私が?”って思いました。だって、私のやっていることは “職業” になっているのかどうかさえ分からないのですから。確かに多少食えた時代もありました。でも、それはバブルの頃のほんの一時の話で 、それ以外はコンスタントには仕事が無いからです。今は色んな事をしてどうにか食いつないでいる状態です。 “こんなんでもいいの?”って聞いたら、色んな職業の人が必要なのだそうです。その内の一つ “「芸術家」という枠で誰かを紹介して欲しい” と校長先生から頼まれたということでした。人を捜すのに苦労している様子でした(そりゃあそうですよね、滅多にいませんよね)。それじゃあ「表現活動」をしている人の代表ということで、 “芸術じゃ食えないよ” っていうことをインフォーメーションすればいいか、と思って引き受けることにしました。

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       マンションのエントランス

 中学一年生が対象だったのですが、皆キチンと礼儀正しく色んな質問をしてくれました。それらに一つひとつ答えていたのですが、途中から何だか変なことになってきました。それは、「給料はどのくらいですか?」とか『休日はどのくらいありますか』等と云う、いかにも中学生らしい質問が出たあたりからです。あたり前ですが、窮極の自営業なので、給料も休日もありません。気が付くと、質問にはまったく答えていないのです。そもそもお金を得るのが目的で始める仕事では無いので、それを説明するために「人は何故表現活動をしたくなるのか?」というところから話してしまいました。「音楽でも文学でも美術でも、1人の人間が表現することにはたった一つのテーマがあって、生涯掛かって同じテーマについて、違う角度から光を当てながら、繰り返し作品を作るのです」なんてことまで口走っていました。中学生には難しかったかも知れませんが、話の流れで色んなことを話しました。もはや職業紹介ではなくなっています。最後は「もし何かどうしてもやりたいことがあったら是非怖れずにやってください」みたいなことを言いました。その前にさんざん芸術は食えないということを言ったので、“それも覚悟の上でね”ってことは伝わっていると思いましたから。まあ、果たして私の話など参考になったのか? 中学生の為になったのか? とても疑問です。しかし、世の中にはへんなおじさんもいるんだということを知って、想像し得る “生き方の幅” を広げるのにちょっと役立ったらいいかなと思っています。

 「芸術家」のくくりの中で「ガラスモザイク工芸作家」という肩書きで行きましたので、ガラスモザイクの実物作品と、建築に施工した作品の写真を持っていきました(上の写真はその一部です)。それ等は結構興味を持って見てくれた様です。作るのにどれくらい時間が掛かるのか? とか技術的に難しい点はどこか? などの質問もありました。10人くらいの生徒が2組、30分くらいづつ時間が取ってありましたが、あっという間に過ぎました。
 私にとっては、晴天の霹靂ともいうべき(想像だにしなかった)「ハローワークの相談員」になってしまったという体験記でした。

以下は資料として見せた、他の建築装飾作品写真

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       病院の浴室

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           小学校のエントランス

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       公園の噴水
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by mosaiquedodeca | 2012-02-03 09:45 | Comments(0)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
 今年の正月も草津に単身赴任です。草津ナウリゾートホテルでガラスモザイク体験です。お客さんが沢山来てくれると良いのですが・・・。帰りましたらまたご報告いたします。

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by mosaiquedodeca | 2012-01-01 00:01 | Comments(0)

秋の休日

 ようやく長く暑い夏が去り、過ごし易い季節がやって来た。と思ったら、急に涼しくなってしまった感じですが、現金なものでもう暑かった事など忘れてしまいそうです。特に原付バイクを運転していると気温の変化をモロに感じます。休日にはガラスモザイク体験教室を「千葉こどもの国」まで50分くらいかけて運転してゆくのですが、走り始めは感じませんが、途中からすごく寒くなってしまいます。雨着を上に重ね着したりして行きますが、最近は冬用のモコモコしたダウンのジャケットを着て手袋を嵌めて行きます。
 そんなある日のことです。「こどもの国」に行くために朝の8時頃家を出ました。すると山羊の一団が道路を渡って、反対側の空き地に草を食みに行くところに出会しました。おやおやこんな車通りの多い時間に・・・と思いつつ、バイクを止めて携帯でパチり。考えてみれば今日は祭日、ほとんど車は通りません。それでも皆が渡り切る迄、遠くに車が見えると、スピードを落とさせる為に道路の真ん中に陣取って交通整理をしてあげました。

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     四頭が渡り終わってまだ一頭渡ろうとしています

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   そいつが私に興味を持ったのか、草むらの方に行かずに近付いてきました

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   でも、私から近付こうとすると、みんなの方に行ってしまいました

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       伸び上がって桑の葉っぱを食べています

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       それを見ていた別の一匹も塀の上に登って桑の葉を・・・

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       桑の葉っぱってそんなに美味しいんですかね?

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一頭だけ私を怖がっているのか、草も食べないでじっとこっちを見たままです。こゝろなしか痩せて貧弱な体付きです。怖がってないでちゃんと食べないと大きくなれませんよ。

 秋ののどかな休日の様子でした。私はお仕事ですが・・・。
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by mosaiquedodeca | 2011-10-06 00:59 | Comments(0)

楓の木

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 顔が熱い! 炎に炙られている様だ。焚き火にあたっているような熱さ・・・ちょっと寝坊してしまったらの話です。この季節、朝の犬の散歩が結構辛いです。いつも行っている時間帯では暑くてどうにもなりません。早朝でないと厳しいです。それもかなり早く。5時に起きて出掛けたんではもうダメです。真横から差し込む朝日が眩しいだけでなく、熱いのです。麦わら帽子をおもいっきり横にずらして顔をガードしながらでないと歩けません。今日はこれを避けるために4時過ぎに起きて、薄明かりの中出掛けました。さすがにこの時間は涼しくて結構でした。
 今日はクーコが定期的に(1週間に一回くらい)行くコースのひとつを行きました。前に書いた事がありますが、クーコはその日によってコースが変わります。2日続けて同じコースという事はまずありません。そのコースは私が変更しようとしても絶対無理なのです。彼女はどういう訳かその日行くコースを最初から決めていて、それを決して譲りません。無理にひっぱると前足を踏ん張って抵抗します。首輪がとれちゃったこともありました。そんな訳で私はいつもクーコの言いなりなのです。今日のコースは一番遠回りのコースです。1時間くらいかかる事もあります。このコースを半分位行ったあたりでリードを緩めて(伸縮自在のリードです)ちんたら歩いていたら、一本の楓の木が朝日の中に見えてきました。
 いつも何気なく見ていましたが、今朝凄い事に気が付きました。道からは逆光になって見辛いので今迄気が付かなかったのです。この楓の木、実はとんでもない所から伸びていたのです。

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       切り株の後ろに生えていると思っていたら・・・・・

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       なんと切り株から生えていたのです。

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       アップで見るとこんなです。



 元はそうとう大きな木だったようです。凄く太い切り株ですから。なんということでしょう、切り株の端っこから葉っぱが出て来て、やがて枝になり、新たな幹に成長したのです。切り株の窪みには土が溜まって他の植物が生えているのに・・・お見事!!!

 切り株を見ていると、今日本の置かれている状況が重なって見えます。地震と津波にやられ、更に重い原発事故に脅かされている。打ちひしがれる事も忘れ、呆然としているような状態。太かった幹を突然ぶった切られ、息の根を断たれたような感じです。このまま日本は沈没してしまうのではないか? という見方さえメディアに載るようになってきました。これからじわじわと事の重大さが明らかになって来ることでしょう・・・。
 しかし、起きてしまった事はもうどうしようも無いことで、先ずは状況を正しく把握して、(今マスコミに出ていることよりはるかに厳しいという)認識を出来るだけ多くの人と共有する事だと思います。現実をありのままに見つめて、勇気を持って受けとめるしかありません。そこから始めて少しづつ立て直して行けば、やがてこの楓の木のように新しい幹を立ち上げることが出来るかもしれません。今日はなんだか、その啓示を受けたような気がしました。
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by mosaiquedodeca | 2011-07-15 17:01 | Comments(0)

緊急避難

 私の住んでいる場所は九十九里浜から5〜6kmの所にあります。3月11日の地震の時は家の中にに居ました。あまりの揺れに外に逃げ出せず、家内と犬(逃げようとする犬は押さえつけて)とでトイレに逃げ込みました。最初の揺れが収まってから外に出ました。停電していたので、テレビのニュースも見れないし、携帯ラジオは電池が入っていません。同じく外に避難している近所の人のラジオを聞くと10m以上の津波の恐れがあるというニュースが流れていました。

 ここに家を建てる時に不動産屋に「この辺は大網駅のある場所迄10kmあるけど海抜10mしかないんですよ」と聞いていました。その時に思ったのは “九十九里沖に関東大震災級の大地震が来たら津波に呑まれてしまう”ということでした。

 回りの人達と、津波はここまで来るんだろうか? という事を話し合いましたが、みんな地元の人達ではないし、「どうなんだろうね? ここ迄は・・どうかな?」と言うばかり。私はその人達に、「自分達は念のため山の方に逃げます。」と言い残して暖かい服と少しの食料とクーコを連れて逃げました。近所の人達には一応避難すると云う選択肢もあることを言ってきたので、後は自己判断だと思いました。皆が動き出すと渋滞してしまうから、逃げるなら早いうちがいいとも伝えました。道路は普段より多少車が多いくらいで、避難しようとしている人達はあんまりいなさそうでした。停電で信号が消えていましたが、順番に通過していて問題はありませんでした。しばらく走ると停電していない地域に入りました。山に少し入った地点のコンビニの駐車場に車を止めて時間を過ごしました。コンビニで電池を買ってラジオを聞いていましたが、時々大きな揺れが来て、コンビニから慌てて人が出て来たりしました。天気予報通りに6時頃雨が降ってきました。暗くなってから、ラジオのニュースで九十九里は津波の高さが大したことない事を知って帰りました。近所の中で避難した人は、東京に仕事に行っている旦那さんから電話で、「山の方に子供達を連れて逃げなさい」と言われた家族と、我が家だけでしたが、翌日話をした人達には、逃げて正解だったと言われました。テレビで津波の被害の映像を見て(夜中に電気は復帰しました)そう思われたようです。私の心配は杞憂に終わって幸いでした。唯、海岸の人達が地震発生から10分くらいで津波に襲われたことを知って、もし震源が近かったら私の逃げたタイミングではまったく間に合わないことを知って恐ろしくなりました。

 今回津波の被害に遭われた方達がお気の毒でしかたありません。人口の半分以上の1万人位の方と連絡が取れない町のニュースを聞いてあまりの事に涙がでました。どうかこれ以上犠牲者の多くならないことを祈ります。
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by mosaiquedodeca | 2011-03-14 13:13 | Comments(0)

みんな知ってる泣ける歌

 NHKの音楽番組を見ていたら、美輪明宏さんが「愛の讃歌」を歌っていた。愛の讃歌と言えば最初に聴いたのは越路吹雪さんです。正に“愛”の讃歌という感じの歌で、その歌詞は奇麗な甘い言葉で綴られていました。  その後、フランスに留学して元歌のエディット・ピアフの歌を聴いて、「随分違うんじゃないの!」と思いました。歌い方も歌詞も全く違っていて、越路吹雪さんのそれとは別の歌のようでした。甘い歌だと思っていたものが実はものすごく激しい歌で、殆ど叫びのような感じです。「自分の国も友も裏切ってもいい」とか「たとえ死んでもどうって事無い」とか、小さい体のピアフがとても声量のある歌声で力強く歌う姿は衝撃的でした。

 歌のイントロ部分で三輪さんの朗読する歌詞は元歌に忠実な訳詞でした。 “そうそう、この歌、この歌” 。そして静かに歌唱が始まった時には、(発音はかなり変だと思いましたが)すっかり三輪ワールドに惹き込まれていました。聞き入ってしまいました。
 美輪明宏さんと言えば、彼の表現したいテーマは「無償の愛」なのではないかと、私は思っています。彼の代表作「ヨイトマケの唄」も母親の無償の愛を謳った歌です。この歌は恥ずかしながら何度聴いても泣けてしまいます。
 私が最初にこの歌を聴いたのは三輪さんによるものではありませんでした。それは中学生くらいの頃でした。冬、寝っ転がって(茶の間の炬燵に体を潜らせて)テレビを見ていたら、坂本九さんのコンサートをやっていました。「上を向いて歩こう」は勿論、「見上げてごらん夜の星を」とか「友達」とか、好きな歌が次々と出てきました。私は坂本九さんのファンなので、ジッとテレビに見入っていました。そんな中、九さんが「ヨイトマケの唄」を歌ったのです。聴いていたら、途中から胸がいっぱいになり、こみ上げてきました。「〜母ちゃんの働くとこを見た〜」というくだりでとうとう涙してしまいました。その時、幸い家には誰もいなかったので炬燵布団にくるまったまま遠慮なく泣きました。別に私の母はヨイトマケの仕事をしていた訳でも無かったのですが、家は貧しかったし(まわりもみんな貧しかった)、父も母も爺さんも婆さんもみんな生活に一生懸命で、野良仕事(本業は米作りです)の合間にも色んな仕事をしていました。父親は土方のような仕事をしていた時期もありました。私も野良仕事の手伝いをさせられたのですが、田圃や畑の仕事はどれも腰がきつくてあんまり好きではありませんでした。勉強にかこつけてサボったり、逃げて遊びに行ったり、あんまり良い子では無かったのです。両親も次男の私には、農業を継ぐ訳でもないので、割合に甘かったのでした。そんな後ろめたい気持ちも手伝って、聴いていたら泣けてきてしまいました。それ以来、この歌を聴くといつも泣いてしまいます。他の歌手の歌にはさほどではありませんが、本家の三輪さんの歌はいけません。催眠術にかけられているみたいに “泣けるスイッチ” が入ってしまいます・・・ですから、カラオケでは絶対に歌えません。

 しかし、私たちの年代(アラ還)の人達には(泣く程では無いにしても)共感して貰えるのではないかと思うのですが、若い人達には果たして通じるのでしょうか? 日本が貧しい時代から豊かになる過程で育った我々と違って、生まれた時から豊かな生活の中で育った人達はピンと来ないかも知れません。 でも、いつの時代にも親子の情は変わらない筈なので、私のように親にいっぱい苦労を掛けておきながらロクに親孝行してない人は・・・・・もしかしたら、泣いてしまうかも知れませんね。




※ 外国人にカバーされて元歌と大幅に変わってしまっている歌に、フランク・シナトラの「マイウェイ」があります。元歌はフランス人の歌手で、留学時代によくラジオから流れていた歌です。はっきりとは憶えていませんが、たしか私が聴いたのはミッシェル・サルドューの歌(本当はクロード・フランソワの歌らしいです)で、同棲かなんかしている女性との間の、いつもの習慣について、ぐだぐだと女々しい事を言う歌詞だったと思います。「私の人生」が、どうだとかこうだとか、堂々と歌い上げるような立派な歌詞では無かったと思う。
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by mosaiquedodeca | 2011-02-21 09:10 | Comments(0)