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ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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ツバメ

 今年の春に表札を設置した、TANIGUCHI邸の玄関ドアにモザイクを貼付けました。このドアには菱形の小さな窓が三つ縦に並んで付いています。上と下の窓にはガラスが入っていますが真ん中だけタイルが埋め込まれています。そのタイルに代えてガラスモザイクを施して欲しいという注文でした。
 6月頃だったでしょうか、それが出来たので設置に伺いたいとメールをしたところ、意外な返信メールが返ってきました。「実は玄関先にツバメが巣をつくり、卵を暖めていて・・・」 つまりツバメを驚かしたく無いので、大きな音をたてたり振動を与える(ドリルを使ったりして)ような作業は・・・という心配をしていらっしゃるということでした。

ツバメ_b0143231_1744725.jpg



 ツバメと言えば、私が子供の頃実家に毎年来ていました。玄関先・・というよりは、中に(田舎の家は玄関も広くて5〜6畳の立派な部屋でした)巣を作る事もありました。柱に取り付けてある電気のメーターの上に作りました。そうするとその下は白い糞で大変な事になりました。その付近には靴を置けませんでした。それを回避しようと玄関の軒にツバメが巣を作り易いよう板の棚を設置したこともありました。
 このツバメの訪問が、ある年を境にしばらく途絶えたことがありました。それはどうしてかと云うと、どこからどうやって辿り着いたのか一匹の蛇が卵を取りに巣に登ってしまったのです。青大将だったと思いますが、それ程大きい蛇ではありませんでした(マムシくらいでしょうか)。発見した蛇は退治しましたが、まだ卵は残っていたのにその後親ツバメが育児放棄をしてしまったのです。それ以来何年かの間家にはツバメが来ませんでした。大人の弁によると、前の年にそこから巣立ったツバメが新たな番となって帰って来るのだということでした。だから翌年には来ないというのです。そう云えば巣自体も前の年のものを修理して使い回しをしていたように思います。

 さてTANIGUCHI邸ですが、ドリルを使う予定はありませんでした。しかし、なるべく邪魔をしたく無いので(知らない人間が長時間そこで作業をしたら警戒するかも知れません)無事巣立ったら連絡してくださいと伝えておきました。そしたら9月の末頃にそれが巣立ったので設置が出来ると連絡が入りました。10月は台風が多くて行きそびれていたのでとうとう月末になってしまいましたが、取り付けに行って来ました。


ツバメ_b0143231_17441223.jpg
 設置前と設置後、雰囲気が明るくなりました。

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ツバメ_b0143231_17462183.jpg



 ツバメの雛はぴいぴいととても賑やかしい(うるさいとも言える)です。巣から大きな黄色い口を広げて “ぴいぴいぴいぴい!” 。親ツバメが虫か何かをくわえて帰ってくると我先に餌を貰おうと必死で鳴きます。 暫くそういう時を経て、ようやく巣立つと、今度は静まりかえって、なんだか祭りの後の様に寂しく感じたものでした。

 コンスタティン・ブランクーシ(※)の彫刻に「新生」という作品があります。これは人間の赤ん坊の頭(顔)らしき卵形の塊の作品なのですが、その一部が削ぎ落とされ、楕円形の切り口があります。その切り口の端の一部が削られずに残されています。削ぎ落とされたような縦長の楕円形の切り口が大きく開いた口に見え、残された部分がへの字の形の下唇に見えます。それがまるで赤ん坊の大きな泣き声が聞こえるくらいの激しい泣き顔に見えるのです。
 この彫刻を見た時私は、「赤ん坊というのは、とにかく “口” だけの存在なのだ」と云う事を思い出しました。蜜柑が大好きな赤ちゃんに、皮をむいて、袋を裏返しにして食べさせた時のことを思い出しました。蜜柑に食い付き、私の指に吸い付く、その開かれたくちびるは、ツバメの雛の口のようでした。いくら与えても、与えても、休むこと無く唇を開いて突き出す。私は交互に食べるつもりでしたが、結局自分が食べる暇なく与え続けたのでした。その時、赤ちゃんは「存在の殆どが “口” なのだ。“口”でしかないのだ」ということを感じました。彼女と私はこの“口”で繋がっているのだと思いました。全身全霊をかけて大きく口を開けて泣き、同じく大きく口を開けて食べ物を求める。何れの場合も、口から外の世界に繋がっているのです。私には、開かれた口から親への(保護する者への)元に、命の鎖が伸びているように見えました。小さくて無力な存在が、唯一生き延びる為に行える行動が大きく口を開けること、大きく声をあげること。運良く生き延び、成長し、やがて生み、育て、守る側になる。ブランクーシのこの作品には、その命の連鎖の一場面の光景が見事に彫刻されているように感じました。


※ コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncusi) (1876年2月19日〜1957年3月16日)は、ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家である。20世紀の抽象彫刻に決定的なな影響を与え、ミニマル・アートの先駆的作品も残した—ウィキぺディア。   20世紀では私の最も好きなの彫刻家です。シンプルで無駄な部分が無く、それでいて抽象ではありません(私の個人的な意見)。あくまで “物” の形を表していて、その本質のみを表現しています。本能に訴えかける形で、私はそれらを「神話的な作品」と感じています。 興味のある方はネットで画像検索をしてみて下さい。検索では出て来ないかも知れませんが、私は「フライイングタートル(飛ぶ=泳ぐ亀)」「手」「慎み(題名が違うかも知れません)」などという作品が特に好きです。
by mosaiquedodeca | 2013-11-01 17:56 | ガラスモザイクの制作