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ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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外房の情報誌:Art Editor

 私の住んでいる茂原市は千葉県の房総半島の太平洋側にあります。この地方は外房と呼ばれています。この外房の文化を真剣に考えて活動している人がいます。伊藤純子さんというのですが、彼女は以前土気(とけ)という町でギャラリーを開いていました。今年の夏頃に彼女から連絡があり、少し協力して欲しいことがあると言うのです。会って話を聞いてみると、大網白里町(山武郡)の商店街の中にお店を開き、そこを拠点とし、茂原市、いすみ市、東金市、山武市まで活動範囲を広げて、文化情報誌を発行したいということでした。以前 “Art Editor” という名称で情報誌を発行していたのですが範囲がそんなに広くなく、土気・あすみが丘が中心でした。今回、その “Art Editor” を、一宮・いすみエリア、山武・長生エリアを加えて3つの地域で1部づつ発行したいということでした。1度に3部づつ出すことになりますが、その為には巻頭の記事が毎回3つ必要になります。彼女一人ではとても埋め切れないので私にも記事を書いて欲しいと依頼されました。私は美術、文化に関しては言いたい事はいっぱいあるのですが、きちんとした文章にすることは慣れていないので心配でした。しかし、誰か知り合いでいい仕事をしている作家のインタビュー記事でも、自分の美術・文化に関する考えをまとめたものでも何でも良いということなので、やってみました。
 いろいろ考えた末、「生活の中の美術」という題名で昭和の型板ガラスについて書きました。型板ガラスとは、透明ガラスにレリーフで色んな模様を付けた昭和30年代頃から盛んに作られ、住宅に使用された、私くらいの年齢の人にはとても懐かしいガラスです。それを引合いに、生活美術に関して思っていることを書きました。短い文章でも結構大変でしたが、自分の考えをまとめる良い機会になりました。

外房の情報誌:Art Editor_b0143231_85728.jpg
私の書いた記事はArt Room というページに載りました。

 その記事の全文を以下に記します。

「生活の中の美術」
—昭和の型板ガラスに見る装飾のこころー

 昭和の型板ガラスというのをご存知でしょうか?ご年配の方ならおそらく誰でも知っておられる筈の物です。そう云う呼び名があるという事を知らないだけで、目にすれば皆さん「懐かしい」とおっしゃると思います。昭和30年から50年頃にかけて盛んに作られた、窓や引き戸あるいは戸棚などに使われた《立体レリーフ》装飾ガラスのことです。ガラスにザラメやギザギザ、幾何学模様、植物模様などの凹凸が付いていて、いわゆる、光は通すが視線は遮るという役目を持った装飾ガラスです。
 日本人の暮らし振りは、昭和の時代に大きく変化しました。経済成長と共に次々と生まれて来たのは電化製品だけではありません。日本の住宅も大きく変わり、新しい建材、建具、家具、設備がどんどん作られ、実に様々なものが姿を現し、そして消えて行きました。土やしっくいだった家の壁は、キラキラ反射するカラフルな繊維を練り込んだ塗り壁の時代を経て、化粧合板、ビニールクロスへと変わりました。台所の様子も、三和土の土間から板の間、そしてフローリングの床になり、 “かまど” はコンクリート・タイル貼りになったかと思うと、ガスレンジに取って代わられ、更にシステムキッチンへと ーご飯炊きが薪からガスそして電熱に変わると共にー 姿を変えました。
 そんな中、いっとき時代を席巻し、いつの間にか消えてしまったものがこの「昭和の型板ガラス」です。この型板ガラスには色んな模様の物がありました。私の実家の縁側と茶の間の間にあった引き戸は、下が板で、上が障子、真ん中がガラスの戸でしたが、ここに使われていたのは笹の葉をモチーフにした型板ガラスでした。10センチ位の細長い笹の葉がバランス良く散りばめられておりました。周りはザラメになっていましたが、その部分だけが平べったく透明になっていて向こうの景色によって、ある葉っぱは白く、ある葉っぱは暗く見えて、自分が動くとそれらの位置が変わりました。今思うと、そのようにチラチラと変化する笹の模様を子供心にも結構楽しんでいたように思います。
 目隠しの機能だけで良いのなら、唯の曇りガラスで良い筈ですが、そこに何故様々な模様を入れて行ったのでしょうか? 板ガラスメーカーは競って色々なデザインを作り次々に発売して行きましたが、それを庶民が生活空間の中に喜んで取り入れたのは何故なのでしょうか? それは、私達の身を包み込んでいる住宅に、物理的な機能だけでなく精神の何らかの要求に答えるものが求められたからでは無いかと思います。壁のシミや柱の木目などを見れば、そこに田園風景を連想してみたり、節目の並び方に誰かの顔の面影を追ってしまう私達人間は:豊かなイマジネーションの海に生きる動物です。そのイメージしたいという欲求に答えるための “装飾” が求められていたのでは無いでしょうか? 身の周りの空間に、何か楽しい気持ち、豊かな気持ちにさせてくれるプラスアルファーを求めた結果、型板ガラスの装飾模様が受け入れられたのだと思います。
 この型板ガラスに限らず、多様なデザインの透かしブロックなど、昭和の時代は今より生活の中に装飾が自然な形で入り込んでいた時代です。それは昭和が “夢” というエネルギーの源を持っていた時代であったことと関係があるかも知れません。何故なら装飾を求める心は夢やあこがれを持つ心と相通じているように思えるからです。関西板硝子卸商協同組合がまとめた資料によると収集出来たものだけで100種類位のデザインがあります。そのデザインには旺盛な遊び心が見られ、夢の力の大きさをうかがい知る事が出来ます。
 バブル景気崩壊からすでに久しい昨今、厳しい経済状況が続いている今こそ、私達は落ち着いた目でものを見て、希望と “夢” を抱く事が必要なのではないでしょうか? 浮かれた時代では無いからこそ、質の高い “生活の中の美術=装飾” が求めらるのではないかと思います。


  “Art Editor” は季刊誌なので3ヶ月に1回発行されます。私は最初の秋号に書きました。今はもう冬号が発行されています。アートに関する情報や色んなお店の情報が載っていて面白いので興味のある方は大網白里町の商店街にある伊藤さんのお店 「アートエディタースペース」に置いてありますので持って行って下さい。無料です。
by mosaiquedodeca | 2009-12-18 09:19 | アート・エディターの記事