ガラスモザイクに関する様々な事を綴り、紹介するブログ


by mosaiquedodeca
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 以前このブログでジャコメッティーの作品について書きました(関東の冬)。そのジャコメッティーの展覧会が開かれています。昨日行ってきました。世間ではまだ大方お盆休み継続中と思われますが、そのせいかどうか国立新美術館もいつもより閑散とした感じでした。しかし展覧会場はお客さんが少ない訳でも無く、丁度いい混み具合でした。夏休み中ということもあって親子連れのお客さんが多く、普段こういう展覧会では見る事の無い小学生が結構いました。パンフレットを見ながら何やらテェックしている様子。おそらく夏休みの宿題の何かにするのでしょう。

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              カタログを買ってきました

 そんな何とも微笑ましい雰囲気の中、じっくりと見てきました。最初は若い頃(20歳前後)の油絵と彫刻、そしてデッサンが並んでいました。デッサンはやはり、しっかりと形態を捉える為の線が引かれていて “彫刻家のもの(※)” だと改めて思いました。彼は最初から彫刻家でした。そして次に見たのはキュービズム的な作品やシュールレアリズムの作品。続いていわゆるジャコメッティの作品、誰もが思い浮かべる肖像作品と直立している人や歩いている男の像を見ました。ここで面白かったのはミニチュア作品です。10cmも無いくらいの大きさの、それこそハリガネで出来ているような作品です。 それらを一通り見た後で、迷路のような順路を辿って、部屋の奥に現れたのは中くらいの高さの台の上に展示された猫と床の台に置かれた犬です。

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          猫と犬の絵はがきも買ってきました

 今回の展覧会は絶対に行きたいと思っていました。その理由はこの2体の彫刻を観たかったからです。
20歳頃に(確か池袋の西武デパートで)ジャコメッティ展を観て感動して以来何十年ぶりに観ます。前回印象に残ったのは猫の像、床に展示してあったのを見下ろして不思議な感覚を覚えました。こちらに向かって歩いて来る様に見えるのだけれど、それは勿論静止したままです。どんどん近付いて来てるのに、いっこうに足元に到着しない。ジャコメッティの彫刻はだいたいどれでも距離感が変なのです。例えば小ちゃい頭部だけの彫刻を正面からじっと見ているとその頭が目の錯覚なのか、だんだん大きく見えて来て実物大の頭になったり、またそうかと思うとどんどんどんどん遠ざかり豆粒みたいに小さくなったり。歩く男の像は、膝もあんまり曲げずに前のめりにひたすら歩いているのに、粘着剤で足を地面に固定された事に気が付いて、歩きかけで足を止めたようにも見える。動いているのか止まっているのかさえも分からない(勿論彫刻だから動かないのですが)。ジャコメッティの彫刻は、じっと(のめり込んで)観ていると不思議な感覚に襲われます。

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 今回、猫は見下ろすことは出来ませんでしたが、同じ目線の高さから見る事ができました。真横から、斜めから、正面から、正面少し横にずれたところから・・・近くから、そして少し離れたところから(人が前に割り込んで来るので見ずらかったですが)。様々な距離、角度から見ました。やはりこの彫刻のリアリティは猫の動きを正確に捉える事からくる重量感なのだと思いました。否、言い間違えました、軽量感ですね。実際の猫よりは寸法がかなり大きいのですが、いかにも猫のふんわりとした軽さが感じられて、何とも言えない可愛いさが出ていました。特に正面から右に少しずれたところから見た、狭い肩幅と前足の運びが可憐(といえるかどうか分からないが)で愛しく思えました。この軽妙な動きの元は、ジャン・ジュネが書いている様にこの彫刻の水平生にあります。上下動の殆ど無い猫の動き、頭からしっぽまでほぼ一直線の脊椎の水平生に起因しています。

 一方で地面の匂いを嗅ぎながら歩き回る犬の像は初めてじっくり見ました。前肢と後肢を柱にして重力に逆らって上に突き出している肩と腰の骨、そして胴体と首としっぽは地面に向かって垂れ下がり、全体のその姿からは何か逼迫したものを感じます。猫はまるで空気ボールがゆっくりころがる様に音も立てずにそっと歩き、犬はリズムを取って上下に体を動かしながら歩く。その対比は見事です。展示の仕方も良いと思いました。犬の後ろ側から2匹を見ると、犬が路上を歩き、猫がその向こうに建っている塀の上を歩いているようなポジショニングです。この頭蓋骨の小さい大型犬(と思われる)は細い体にも拘らず骨以外の肉や皮は垂れ下がり、重力の存在を充分に感じさせます。右斜め後ろから見た時に、下げた頭の脇に垂れている右耳がとてもリアルに感じました。肩と腰骨を支柱に緩やかに下方に湾曲した吊り橋のような脊椎の曲線を受けて延長線上に延びるS字曲線状のしっぽの形がとても美しいと思いました。その形は単に線として美しいのではなく、犬を飼うという経験を経て初めて感じられたであろうリアリティーがあります。お尻から延びたしっぽは先ず後ろ上方に膨らむ曲線が描かれ、その先は反転して下側に膨らんで曲がり(S字状)、最終的にしっぽの先が上を向いています。後ろ足の曲線としっぽの曲線で形づけられる楕円形に空いた空間に、少し言うのを憚られますが、犬のお尻の穴の存在を感じました。犬の散歩をしていると、犬の肛門を見る事になります。毎日見ているのです。しっぽを上げて(日本犬の場合、丸めて)いつも剥き出しです。排泄をする時は周りを汚さない様にしなければならないので勿論ですが、余程怯えている時以外はしっぽは上がったままなのです。それは衛生上必要な事でも(空気にさらして乾燥させる)あるし、体の動きのバランス上求められる事でもあります。この犬はご機嫌な状態では無いので、しっぽは半ば垂れていますが、肛門にくっ付かない様に空間を空けています。そこにはお尻の穴の存在が表現されているように感じました。犬の全身の形の美しさに寄与しているのと同時に、犬の生体としてのリアリティーも感じました。

 結局この2点の前には(後ろに回ったりもしましたが)一時間近くいました。その間に監視員の方も何度か交代した様子でした。あんまりしつこく見ていたので、作品に危害を加える危ない人と思われなかったかちょっと心配です。


※ 画家のデッサンはあくまで四角い画面の中に形を構成します。物を描いてもそれだけでなくその周りの形(物の輪郭と画面の縁の間に作られる形)も構成要素と考えます。物の立体を捉えると同時に画面全体の構成もするのです(それは近代絵画の考え方で、確立させたのはセザンヌです)。しかし彫刻家はそのあたりの事はあまり重要に考えません。それよりも物の立体的な形態そのものを捉えようとします。にもかかわらず、当たり前ですがデッサンの画面は平面です。そこで写真には写らない線を引きます。目にははっきりと見えない形と形の境目に線を入れます。例えば展示されていたジャコメッティーの裸婦デッサンでは足と胴体の境目に入っている線は体の中にある線で実際には見えないものまで引かれています(キュービズム的とも云える)。その結果描かれた物はまるで透けている立体物のように見えます。しかしいわゆるジャコメッティーの作品が確立した後のデッサンは物の形態を捉えると云うより、物と周りの空間を一緒に表そうとしているような気がします。但しそれは画家の空間の捉え方とは違い、ジャコメッティーの独創的な捉え方です。 彫刻家のデッサンと言えば、ヘンリー・ムーアにもミケランジェロにも同じように画家との違いを感じます。ミケランジェロは画家でもありますが、レオナルドとのデッサンの違いを見れば、彫刻家である事は明白です。 パリの装飾美術学校(アールデコ)にいた時、ある教授(担任ではない教授で、誰だか忘れた)から、「君の絵は画家的というよりは彫刻家的だ」と言われたことがあります。「彫刻的なデッサンをする画家はとても良いのだ。その逆は良く無いけれど」とも言っていました。意味ははっきりとは分かりませんでしたが嬉しかったのを憶えています。その頃から物を立体的に捉えたいと強く思っていましたから。


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# by mosaiquedodeca | 2017-08-17 19:26 | Comments(0)

ネームプレート講座

 ちょっと前の話になりますが、6月に生協(家内が会員になっている)の主催でガラスモザイクの講座をやりました。ネームプレートを作る講座です。10人以上の方が集まって下さいました。

 製作用の枠の中に色ガラスタイルを割って、縁取りのデザインと文字、スペースがあれば何かの絵を描きます。タイルを真っ直ぐに割る、丸い形を作るなど、タイルチッパー(ガラスを割る専用のペンチ状の道具)の使い方にはコツがあって中々難しいですが、皆さん結構上手に作られていました。レベルの高い作品が出来ました。

 ガラスチップを並べ終えたものの表面を幅広のテープを貼って固定します。その、作品が貼付いたテープを枠から外し、ガラスの裏に接着剤を付けて磁器タイルあるいはボードに貼付けます。接着剤が固まったらテープを剥がし、隙間に目地セメントを詰めて出来上がります。
 貼付けと目地入れはなかなか難しく、失敗すると取り返しがつかなくなるので私が(アトリエに持ち帰ってから)やります。

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          工房で磁器タイルに貼付けたところ

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          目地詰めをしたところ

 1点ずつご紹介します。先ずはローマ字で作られた作品ます。

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“I” の小文字の点をハートにしました 三角形と台形をうまく組み合せて “S” の字を作っています トマトがおいしそうです

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最後の絵は犬の顔ですね ポイントは “I” の小文字の点(まさにポイント)ですね、肉球になっています

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文字数が多いので最初の “T” だけ大文字で後は小文字にしました “a“ のループの部分を潰して●にしたのはうまい省略方法です

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ウェルカムボード こちらも “o“ のループを潰して●にしています  これはMDFボードに貼付け、上部にヒートンを付けて鎖などでぶら下げられるようになっています

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金目?鬼カサゴ? 魚の顔を正面から作りました、お見事です(傑作) 尚 “I” の小文字の点は魚の胴体になっていますね〜

 次は平仮名の文字の作品です。

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      右のスペースには大小さまざまな星☆☆☆  “さいとう” という字がかわいいですね

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 点を繋いで作った文字 空間いっぱいに広がる、大きく、のびのびとした字は見ていて気持ちが良いです

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文字の線の末端をすべて太くして力強い印象にしています 薔薇の絵も傑作です、特に左右の大きさを変えて右端に思い切り大きな葉っぱを持ってきたところなど素晴らしいです 空間感が生まれました 作品全体に絵心を感じますね

 そして漢字の作品。

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文字数が少なく、絵のスペースが半分くらいあるところに、緑の蛙と水滴を配しました そういえば、お名前も井戸の井と川、水にご縁があるのですね

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細かい破片で出来た文字はまるで落葉を集めて作ったようです:或る現代美術作家の作品を思い出します(※) 大きく空いた3カ所のスペースには花と葉っぱを配しました “田” の字の真ん中の十字は4弁の花に置き換えています 偶然に出来たように見える文字には楽しんで作られた様子が浮かびます

 最後は文字の無いネームプレートです。

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4人家族のTさん、先頭の大きな魚はお父さんでしょうか? お子さんが2人真ん中で、最後がお母さんのようです

 実はこの作品の目地入れは失敗してやりなおしました。その顛末を画像で紹介します。

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  最初の目地をいれた時はこんなでした セメントの色が魚の頭と同じ色になって目しか見えません

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          ルーターで、固まった目地セメントを掘削します

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          すっかり取り除きました これに新しく目地を入れ直します

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    最初の目地より暗い色の目地を入れました これでやっと魚がくっきり浮かび上がりました


※ アンディ・ゴールズワージーという作家を思い出しました。自然の石や樹の枝や葉っぱ、笹、氷(氷柱〈つらら〉や水面に張った板状氷など自然に出来たもの)などを集めて人工的な形を作って作品にしています。興味のある方は「アンディ・ゴールズワージー」で検索してみて下さい、面白い作品が沢山みられますよ。

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# by mosaiquedodeca | 2017-08-05 20:07 | 体験教室・こどもの国他 | Comments(0)

透明な顔

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 我が家の愛犬「友生」は動物愛護センターに保護された迷い犬だった事、我が家に来たいきさつ等は前に書きました。センターから友生を引き出し、7ヶ月に渡って里親探しをしてくださった、ボランティア団体「アグリドッグレスキュー」の海ママさん。彼女のブログを家内が見つけた事が友生を迎えることのきっかけでした。そのブログは今でも毎日見ています。アグリの、他の預かりさんのブログも時々チェックしています。海ママさんのブログ同様に読むのが日課になっているものもあります。時々アグリ以外の団体のものも(※1)読んでいます。つまり、すっかりハマってしまったという訳です。

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 海ママさんのブログを読み始めて暫くして気が付いたのですが、海ママ家の犬の「海」ちゃんの表情が他の子達と何だか違うのです。最初の頃は優華(友生の当時の名前)が目的で見ていたので、あんまり他の犬には目が行きませんでした。一緒に保護されていた子犬達のヤンチャな様子には少しは目が行きましたが、いつも後ろの方に写っている海ちゃんのことは全く注目していなかったのです。いつ見ても同じ表情で、何だか存在感を感じなかったのです。何と言うか、 “透明な顔” に見えたのです。何故だろう?長い間このことの意味が分かりませんでした。

 海ママ家に友生(優華)に会いに行った時、入口に止めた車から降りたら、縁側の掃き出し窓からガラス越しにこっちを見ている犬が2匹見えました。優華ちゃんと海ちゃんでした。玄関に入るとこの2匹と他に子犬達(他に保護された犬:2匹とも優華とは血の繋がりは無い)が走ってきて大歓迎してくれました。中でも優華ちゃんは飛びつかんばかりの歓迎ぶりでした(※2)。しかし皆と一緒に走って来た海ちゃんは、優華に気圧されたのか、初対面だったから怖がったのか、直ぐに上がりかまちの下に身を隠してしまいました。居間に移ってからも優華ははしゃいでいて甘えてきましたが、海ちゃんはそれっきり奥に引っ込んでしまいました。まるで自分の出番は終わってしまったかのように。

 友生が家に来てから一年半以上経ちました。最近彼女の顔が何だか海ちゃんの表情に似て来たのです。無表情というか、何も訴えてこないというか・・・。違う言い方をすれば、何事にも動じない、不安な様子が全く見えない、透き通った表情なのです。海ちゃんと同じような透明な顔に見える事が多くなってきました。

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       カメラを向けると意識するのでなかなか透明な顔は撮れません

 預かりさんのブログに出てくる保護犬達は、育った環境や保護される直前の境遇によって様々ですが、その時々の心の状態がはっきりと読めます。拒絶しているのか、求めているのか、不安なのか、喜んでいるのか・・・そう云った感情が割合に顕著に(顔に)現れています。そういう表情を見て、又それが変化して行く過程をみて一喜一憂。つまり感情移入して、見ています。そんな中で海ちゃんだけがいつも普通の顔なので、気を惹かれる事はありませんでした。ブログの文章には海ちゃんが “どうしたこうした” とか色々書いてありましたが、出ている写真の表情からはそう云う感情は読み取れませんでした。しかし最近、それがどうしてなのか、ようやく分かりました。保護犬は生きて行くのに必死で余裕が無く、色んな感情がすぐに顔に現れてしまいますが、海ママ家の犬達の中で唯一飼い犬の海ちゃんは、不安が無いからか(不満はあったとしても)無表情に見えるのです。つまり透明な顔と言うのはすっかり家族の一員になり、その中での役割もしっかりこなしている、言わば精神的に大人の犬だということでした。友生も最近その風格が備わって来始めたということでしょうか?

 私達も一度だけ迷い犬を保護した事がありますが、その顛末は前に書きました(ビーグルの思い出)。その時に描いたデッサンで、顔を描いた物が見つからなかったと書きましたが、最近見つけました。以下の3点です。

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ちょっと気弱そうな顔になっています (動くのでなかなか描けなかったです 後ろ足が少し大きくなりすぎました)

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かなり緊張した顔になっていますね 何だか怒っているみたい もっと友好的な顔をしていたように記憶しているのですが・・・

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       こちらのデッサンも緊迫した顔に見えます

 当時のデッサンを見ると、取り敢えず人間に保護されて家に入れてもらえたけれど、やはり安心は出来ずにずっと緊張していたのが分かりますね。


※ 1:保護活動と言っても、いろいろな方がいらして、中には病気や怪我をしている子達ばかりを預かる方もおられます。そういうブログもたまにチェックしています。北海道のある方のブログには、右サイドに今飼っている子達、預かりながら里親募集をしている子達の紹介リストがあって、その下に預かり宅で亡くなった犬猫&鳥のリストもあります。「心の住人」と題して、死亡日、滞在期間と簡単な紹介文が添えてあります。ユーモアを交えた文章でちょっとクスッとするのですが、こちらをじっと見つめている顔を(見えていないであろう眼の子もいます)見ながら読んでいると、どうしても涙ぐんでしまいます。生死の間を行き来し、辛い事沢山経験してきて、ようやく保護された子達の、それぞれの性格、性癖、そして最後の日々(年、月、日)の様子がさりげなく短い言葉に要約されています。その文章に彼等に対するブロガーの方の深い愛情が感じ取られて、読んでいる私の顔は、おそらく泣き笑いのようになっていると思います。とても人には見せられる顔ではないので、このブログは一人の時にしか読みません。

※ 2:我が家に来てからの友生はお客さんが来てもあまり歓迎しません。怖がる事は無いですが、私達との初対面の時のように自分から近づくような事は決してありません。何回か会っている人には少し愛想を見せますが、懐くような事はいっさいありません。空子は人が大好きで、いつでも、誰にでも愛想が良かったので、友生が海ママ家で私達に歓迎的だったことは別に気にも止めませんでした。犬とは大概そういうものなのだと思っていました。しかし、彼女は誰にでも懐くような犬では無かったのです。不思議なのですが、私達には最初から懐いていました。海ママさんも「お見合い(里親候補が初めてその犬に会いに行く事)の時に相性の合わない場合もあるんですよ」と言っていました。何で私達に最初から懐いたのか? これは今もって謎です。

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# by mosaiquedodeca | 2017-07-15 13:26 | 猛描プータと愛犬クーコの話 | Comments(0)

ワインを使った料理

 先日スーパーで割引の赤ワインを買いました。処分品のみを並べた小さな展示台に乗っていたワインです。一見して私が買うにしては高そうなワイン。厚みのある深い色の、どっしりと重い瓶に入ったボルドー産のワイン。底に指を当ててみると、窪みが深い。これはいいワインに違いない!そう思って何故安売りなのか深く考えずに買いました。そして家に帰って夕食に開けたのです・・・が。 今になってみれば当然だと思うのですが、これが不味い。我慢して2〜3口飲んだけれど、やっぱり駄目。保存状態が悪かったらしく、腐っているとまでは言えないけれど、とても美味しくは飲めない。唯、ポリフェノールたっぷりの濃い色のワインでした。 以前同じような失敗をしているにも関わらず、またやっちゃったと思いました。10年前くらい(※1)と20年くらい前にも同じような事がありました。最も酷かったのは20年くらい前の件です。画家仲間での貧乏(スケッチ)旅行中。コンビニが今のように田舎町の津々浦々まで普及する前の、いわば田舎のコンビニエンスストアーといった感じの、お酒以外でも何でも売っているような酒屋で、年期の入っていそうな赤ワインを買いました。安宿で皆と開けてみたら、赤ではなくて茶色。そうです、赤ワインなのに茶色くなっているのです。しかし、過去に茶色いワインを飲んだ記憶がよみがえりました。フランスに居た時、友人の家で自分の生まれた年くらいに作られたワインを振る舞われたことがありました。25年以上前のワイン。みんなでグラス一杯ずつ飲みました。それはその時まで、そしてその後も飲んだ事が無い位味わいのある、美味しいワインでした。その色が少し茶色っぽかったのです。そのことを思い出し、もしかしたら美味いかも・・という淡い期待は、勿論!大はずれでした。美味いどころか腐っていたのです。銀座辺りのワイン専門店で買ったのならいざ知らず、茶色いワインがまともな筈がないですね。口をつけてしまったけれどお腹を壊さないか心配になる程ひどい味でした。 さて、腐ってはいないけれどおそらく適正温度では保管されていなかった赤ワイン。どうしたものか・・流してしまおうかとも思いましたが、あるアイデアが浮かびました。不味いが濃いワインの味から、南フランスのホテルで食べたある料理の事が思い出されました。 “Coq au vin“ (コック.オーヴァン:鶏肉を赤ワインで煮込んだ料理)を作ったらどうか? ワインとして飲むなら不味いが、煮込んだら美味しそうだと思ったのです。 ネットで作り方を調べたら出ていました。翌々日プリントアウトしたレシピを片手に段取りを確かめながら作りました。大成功でした。やはり濃い赤ワインがこの料理にはぴったりでした。ブルゴーニュのワイン(※2)だったらこんなに美味しくはならなかっただろうと思います。ホテルで食べたそれの味は随分前なのでおぼろげです。しっかりと覚えてないという事はそれほど美味く無かったのかも知れません。多分今回自分で作ったのの方が美味しいと思います、家内は随分感激してくれましたから。最も、家内は僕が作る料理はたいてい何でも褒めてくれますが・・・何故かと言うと自分が作らなくて良いから、楽ですもんね 皆さんも間違って、逝っちゃったワインを買ってしまったら是非作ってみて下さい。捨てずに済みますし、多分美味しい料理が出来ます(腕次第)。今度は「豚肉か牛肉でやってみてよ」と家内。牛肉の赤ワイン煮込み料理は存在しますから美味しいに決まっていますが、豚肉はどうだろう? 機会があったらやってみようと思います。

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  後日作った豚肉の、Coq au vin (否 Porc au vin) この時は煮込み時間が足りず、いまいちでした

※1
10年程前の1件は、近所のコンビニで買ったワインがやはり駄目になっていました(おそらく長い間売れずに展示棚に置かれていて暖められた)。これは返品しに行き、店主も応じてくれました。

※2
私の意に反して、なんと “Coq au vin“ の発祥はブルゴーニュだそうです。私はボルドーか、スペインやイタリアの濃いワインの方が絶対美味しいと思うのですが・・・。そもそも自分はブルゴーニュのワインはあんまり好きではありません(安物しか飲まないからでしょうが)。ボジョレーヌーヴォーなんて高い割にそれほど美味しいと思ったことがありません。いったい何をあんなに有り難がっているのか、気が知れません。しかもわざわざ空輸して世界中で同じ日に一斉に栓を開けるなんて・・・と、自説を主張するあまり、毒づいてしまいました。

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# by mosaiquedodeca | 2017-07-01 14:16 | Comments(0)

名前


 我が家の愛犬 “友生” (ユーキ)が家に来てから一年が経ちました。家に迎える事が決まった時、名前をどうしようか結構考えました。プータとクーコの時は直ぐに決まりましたが、ユーちゃんは色々迷いました。今日はその(一年前の)、四苦八苦の顛末を書きます。

 最初に考えたのは「フク」でした。我が家で天国に逝った、プータとクーコを合わせて、「プークー」。転じて→プク→フク。「福ちゃんだ!」と一旦はなりました。だが、どうもピンと来ない。何故だろう?・・と考えたら、どうも発音し辛い。フーでは息が抜けてしまう。 ということで意味からでは無く、音から探してみようということになりました。先ず、最初の音。五つの母音の内、伸ばしても言い易い音を選びました。アー、イー、ウー、エー、オーの内、イーとエーは口が半開きの為いざという時咄嗟に出て来づらい。アーとオーは構えて力を入れる時はいいけれど、どうしても叫んでいるイメージが浮かぶ。残ったのが一番言い易い(私だけかも知れませんが)「ウー」に決まりました。プータもクーコも「ウー」です。では子音。カ行から順に、ク、グ、ス、ズ、ツ、ズ、ヌ、フ、ブ、プ、ム、ユ、ル、ヴ の中で使えるのはそんなにありません。濁音は重くなるし、ツ、ヌ、ム、ルは一旦唇か舌で吐き出す空気を止めてからでないと発音出来ない( “プ” だけは例外的に発音し易い)。「フ」は力が抜けるし、「ス」は舌と上の歯茎の裏側の隙間を狭めて、力を込めて吐き出さないと音にならない。残ったのは、ク、プ、ユです。ということはもう “ユ” しか無い訳です(クとプはクーコとプータで使用済み)。 “ユーなんとか” という名前にすることに決まりました。

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 保護されてからの預かりネームが「優華」なので “ユーなんとか” なら本人(犬)も混乱しないで良いだろう。では女の子ならスタンダード(私達の世代では)に、 “ユーコ” としたら・・と思いました。しかし、ユーコではどうしても知り合いの何人かの顔が浮かんでしまう。直ぐに思い出すだけで3人もいます。そこでちょっと捻って “ユーキ” ならいいだろうということで決めました。男の子の名前みたいですが、どういう訳かあんまり違和感を覚えませんでした(問題発言?ユーキが一見男の子に見えるからなのか?)。という訳で消去法ではありましたが、音はユーキ。では文字は? 複雑なのは書く時大変だからなるべく画数の少ない文字で、ユーは “友” 。これには理由があります。これから私達と一緒に生きて行く、という意味で、訓読みでトモ(共にという意味も引っ掛けて)と読める “友” 。野良となって独りで子供を産んで、しかも厳しく躾を教えながら育てた、立派なお母さん(※1)を私達の “子” として迎えるのはおこがましい。同等の立場の友達になろうということで “友” です。 キ はPCの文字打ちで単純な字が出て来るまで捜したところ、生まれるという字で キ と読める事が分かってそれに決めました。後付けではありますが、一度は捨てられて命の危機に晒され、それでも子犬の命を守っていたユーちゃんに、これからは永く幸せに「生きて」欲しいという思いを込めての “生” です。かくして、友(として一緒)に生きる「友生」と命名。

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  影を見ただけでも分かる程、最近体格が良くなった(つまり太った)ユーキ

 このような経緯で名前が決まりました。ユーキに限らず我が家の家族の名前は、今流行りのキラキラネームと正反対の、とにかく単純で発音し易く簡単に書ける、そして覚え易いという方向で決まります。しかし、こんな風にさんざん考えて呼び易いように決めた名前でも、結局はまともに呼ぶ期間は最初の何ヶ月かだけなのはどうしてなのでしょうか? プータ(風太)は、プーちゃん、プーにゃん、プーすけ、プータ居士、プー太郎、etc。クーコ(空子)は、クーちゃん、クンちゃん、クークー、クックー・・・。その時の気分によって勝手に変えて呼んでいました。ユーキも最初のうちこそまともにユーちゃん(既に省略してますが)と呼んでいたのに、そのうちユータンになって、今や “タンタン” になっています(名前の音が一つも入っていません)。まあ、ユーちゃんの場合、まだ名前らしきもので呼ばれているだけいいのかも知れません。呼び方で遊んでもらえるなんて愛されている証拠のようなものですから。私達夫婦なんてまるで名前なんて忘れてしまったかのように、お互いを “アンタ” とか “オイ” ですからね(※2)。

        「ユーちゃん!」(前を歩いているユーちゃんを振り向かせたくて呼んでみた)
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        ?・(反応無し)

        「ユータン!」
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        ?・・

        「タンタン!」
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         何?


※ 1 先日ユーキを7ヶ月間預かっておられた預かりさん(海ママさん)が一年の節目に遊びに来てくださいました(ぷーままさんと、もう1人絵が好きな中学生と)。その時に保護時代のユーちゃんの話になって、子供達に対する厳しい躾の様子を聞きました。ユーキから離れて勝手に歩き出す子犬を、バシッと押さえつける動きが容赦なかったそうです。「そんなにやらなくても・・」と思うくらいだったそうです。
今回彼女達から、ユーちゃんが凄く「可愛くなった」と言われました。絶賛の嵐でした。ぷーままさんなど、「男前のユーキに遭える」と思っていたら違った、と。私達も時間が経つに連れて顔が変わって行ったのは認識していましたが、一年振りに会った人には変化が顕著だったようです。

※ 2 どこでも一緒かどうか分かりませんが、夫婦も長くなると名前なんかで呼び合わなくなります。若い頃は名前から派生した(というか変じた)呼び名を付けて呼び合っていましたが、だんだん面倒になってこんな風に成り果ててしまいました。まあそれでも関係が成り立っているのは、お互いが空気のような存在になってるからでしょうか?
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# by mosaiquedodeca | 2016-12-17 12:13 | 猛描プータと愛犬クーコの話 | Comments(0)